1:2015/05/02(土) 17:14:14.77 ID:
イ・フンボン論説委員

ルネサンスの出発点はイタリアだった。14世紀イタリアの詩人ペトラルカが第一歩を踏み出した。古代ギリシャ・ローマを文化の絶頂期、中世を創造性が踏みにじられた暗黒期と規定した。そのため、ギリシャ古典学問と芸術の復興なしには文明復活と社会改革は不可能だと見なされた。

16世紀イタリア美術史家ヴァザーリは『イタリア画家・彫刻家・建築家列伝』で「古代以降、衰退した美術がジオット(イタリア画家)により復活した」として復活を意味するイタリア語‘リナーシタ(rinascita)’と書いた。続いて18世紀に出たフランス百科事典は学問と芸術が花咲いた新しい時代を説明して同じ意味のフランス語‘ルネッサンス(renaissance)’を使った。その後、ルネッサンスは世界公用語になった。

イタリア人はくやしいだろう。才は自分たちが越えているのに名誉はフランスが取ったという事だ。しかしどうだろう。18世紀の学問と芸術の中心はフランスであった。拳がすなわち法で、金がすなわち道徳なのが国際秩序ではなかったか。

私たちはイタリアの心配どころではない。悠久に呼んできた‘東海’さえ場合によっては‘日本海’になりそうな時ではないか。国内で発行された教材さえ日本海表記される呆れ返ることまで起きるのが現実だ。外国地図を使って起きたハプニングにすぎないが、それだけ国際社会の認識が変わっているということだ。

それでも興奮して怒るだけで、悠久な真理を考えないようではならない。‘力がすなわち正義
(Might is right)’は国際社会の不変のルールだ。
日本総理の今回の米国訪問を眺める視線もそうだ。米国と日本が近づいて韓国だけ孤立したという嘆きがあふれる。私たちの外交はこれまで何をしてきたという叱責が続き、もっと上手くやれという注文があふれる。

みな正しい言葉だが何をどのように上手にやれというのかは言えない。外交当局もそうだが指摘する人も妙案がないのだ。米国は東アジアで日本の軍事的役割が強化されるよう願う。米国の費用節減と普通国家化を望む日本の利害が完全に一致する。究極的目標の対中国牽制まで重なる。こういう地政学的条件で米・日同盟の強化と日本の軍事大国化は必然だ。

それを防がなければならなかった?私たちの力で?日本の武装を防ぐには米・日防衛協力指針の代わりをするほどの費用と負担を私たちが担わなければならないが、それは可能だろうか?そして必要なことか?必要なのかは分からないが、可能なことなことがある。だが期待する外交だけではだめだ。力を育てなければならない。軍事力をいうのではない。問題は経済力だ。

チェ・ギョンファン経済副総理は最近、私席で「年間5%ずつ10年ばかり経済成長すれば願いがなう」という話をした。日本と肩を並べるほどの経済力がほしいという話だ。昨年、私たちの1人当りの国内総生産(GDP)は2万8739ドルだ。10年間5%ずつ成長すれば4万6000ドルを越える。ゼロ成長に近い日本の3万7540ドルを追い越すには6年で充分だという計算が出てくる。

1人当りのGDPだけで力を論じるのは話にもならない説だ。それだけで日本を越えたというのも単純な考えだ。しかし、最小限その程度に財布は満たせば日本の今の突進を止められるという事だ。今のように謝罪をもの乞いして、孤立を心配しなくても良いことという話だ。外交力量も大きくなる。

もちろん夢のような話しだ。今年は3%成長なるかという。指標だけ見れば日本より私たちの経済がもっと心配だ。しかし、今、私たちが感じる危機を打破する方法はそれのみだ。現在議論されている改革だけ成し遂げれば必ずしも不可能な目標ではない。夢は叶うといことを2002年、すでに経験したのではないか。

『淮南子』が今、私たちがすべきことを語ってくれる。「淵に臨みて魚を羨むは、退いて網を結ぶに如かず(臨淵羨魚不如退而結網)。」(訳注:岸辺に立って魚が欲しいとただ眺めているより、家に帰って魚を捕る網を編んだ方が良いという意味。)

イ・フンボン論説委員

ソース:中央日報(韓国語) [イ・フンボンの思うことも]日本が憎ければ網を組め
http://joongang.joins.com/article/691/17719691.html