1
:2015/04/11(土) 16:03:24.85 ID:
1975年に終戦を迎えたベトナム戦争で延べ32万人を派遣した韓国軍は、9000人に及ぶベトナム民間人を虐殺したという疑惑に包まれています。この虐殺から生き残った2人が、光復(解放)70年、ベトナム戦争終戦40年を迎え初めて韓国を訪れました。訪韓中の彼らの日程は、彼らが生きてきた人生同様に順調なものではありませんでした。彼らの訪韓に付き添ってみました。

写真展を開いた写真家のイ・ジェガプ氏が彼らを展示場の片隅の小さな部屋に案内した。韓国各地にある戦争記念塔の写真が映写機を通して暗い天井に投影されていた。ベトナム各地に韓国軍を憎む60余りの憎悪碑が建てられているのとは対照的に、韓国の領土では100余りの参戦記念碑があるという説明が後に続いた。

以下ソース

ソース:ハンギョレ 2015.04.11 11:48
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/20289.html

展示会場はベトナムと韓国に建てられた戦争関連の石碑、民間人虐殺状況を証言するベトナムの人々の姿で満たされた。人々の写真の前には、くすんだビニールが日除けのように設置されていた。イ氏は「ベトナム戦争当時、米軍は死体を処理する時に主にビニールを使った。彼らにとりビニールは米軍の非常食だったCレーション同様、戦争を思い出させる媒介物」と語った。くすんだビニールの向こう側にある写真の中には、深い皺に窪んだ眼をしたあるベトナムの老婆が、悲しみが込み上げ涙が溢れ出そうな顔で幼い孫の顔と向き合っていた。伝えたいけど、伝えきれそうにないどんな言葉より雄弁だった。

「坊や、この話を絶対に忘れないで。韓国の軍人たちが私たちを爆弾の窪みに追い込んで、みんなを撃ち殺したのよ。坊やが寝ていても、この話だけは忘れないで」。ロンさんとタンさんが写真展の後で参加した「水曜集会」でプラカードに書かれてあった文だ。伝えたいけど、伝えることができなかった老婆の話だったのではなかろうか。

以下ソース

ソース:ハンギョレ 2015.04.11 11:40
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/20290.html

続きます