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(イメージです。)


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:2015/04/03(金) 19:04:22.32 ID:
昨年3月、済州4・3事件が起こった4月3日が国家記念日として指定されたが、今年も4月3日を迎え「4・3犠牲者追悼式」が済州島の4・3平和公園で執り行われる。朴槿恵(パク・クンヘ)大統領は出席を見合わせたが、李完九(イ・ワング)首相や与野党の代表らは出席する予定だ。

朴大統領は2012年の大統領選挙の際、それまで60年以上にわたり民間団体主催で執り行われてきた追悼式を国が行うことと、またこの日を国家記念日に指定することを約束し、就任後にその約束を守った。しかし朴大統領がこの式典に出席できない理由は、平和公園に設置された位牌(いはい)の中に、かつての南朝鮮労働党(南労党)幹部や活動家のものが含まれているからだ。彼らは当時反乱を引き起こしただけでなく、韓国軍や警察関係者、さらにその家族まで殺害した、文字通り筋金入りの過激派だった。

4・3事件は南労党済州島党が大韓民国の建国を阻止するため、1948年4月3日に武装蜂起したことで始まり、1954年9月21日まで7年にわたり続いた。当時の済州島の人口は6万人余りだったが、この事件により1万5000人以上が犠牲となり、平和公園には今も1万4095の位牌が安置されている。「済州4・3定立研究・遺族会」は位牌のうち53人のものは不適格だとして、彼らを犠牲者リストから外して位牌も撤去すべきと主張している。遺族会が問題視したこの53人の中には、当時の南労党済州島党の副委員長、経理部長、現地の人民軍司令官などの名前もあり、また中には1948年10月に北朝鮮に逃れ、韓国戦争(朝鮮戦争)の時には7000人の兵士を率いて南侵した人物の位牌もあるという。

憲法裁判所は2011年、4・3事件と関連する違憲訴訟の際「南労党済州島党の幹部、武装隊の司令官と中間幹部、韓国軍兵士・警察官・公務員とその家族を殺害した者、官公署や公共施設に放火を行った者などは事件の犠牲者と見なすことはできない」との判断を下した。問題となった53人の前歴が事実であれば、彼らの名前は当然犠牲者リストから外さねばならない。

不適格問題だけではない。
済州島出身の小説家で元漢陽大学教授の玄吉彦(ヒョン・ギルオン)氏は先日「4月3日は南労党が(大韓民国最初の選挙となった)5・10総選挙を妨害するために起こした武装蜂起が始まった日だ」と指摘した上で「この日を記念すれば、これは武装蜂起に正当性を与えると誤解されかねない」「4・3事件が終わった9月21日を追悼の日とする方が、むしろ説得力がある」などと主張した。事件当時、まだ9歳の少年だった玄氏は、祖母やおじなどが犠牲となった遺族でもあり、この事件を素材とした小説なども複数発表している。玄氏のこの主張には一理あるし、またこれに共感する遺族も多いはずだ。犠牲者の追悼ではなく、武装蜂起を記念したいと考える国民はいないはずだからだ。

政府は追悼行事を主催する「4・3委員会」に対し、不適格と指摘された53人について再審議を求めているが、要請から1年が過ぎても審査は行われていない。理由は委員会の中で保守とリベラルの間の見解の違いが大きいからだ。大統領の追悼式出席は、この問題に正しく決着がつけられてはじめて可能になるはずだ。はっきりしていることは、この追悼式は新たな対立や分裂の引き金としてはならないこと、そして真の追悼と許しの場にならねばならないということだ。
 
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/04/03/2015040301147.html