韓国 済州島 
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(イメージです。)


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:2015/03/23(月) 20:50:59.35 ID:
「共産主義政権を樹立しようとした企てを隠蔽」
李承晩元大統領の養子も原告に
記念館は「政府の報告書を土台とし展示物を決定」と主張

 済州4・3記念館の一部の展示物が「歴史を歪曲(わいきょく)している」として、保守系の弁護士団体が展示の禁止を求める訴訟を起こした。同館は1948年に発生した済州島四・三事件(島民の蜂起が引き金となり、軍や警察などが島民を虐殺した事件)の犠牲者たちの霊を慰めるとともに、その歴史的な意味を後世に伝え、犠牲者の名誉回復や平和・人権に関する教育の場として活用する目的で2008年に開設された。

 「韓半島(朝鮮半島)の人権と統一のための弁護士の会(以下、韓弁)」は22日「済州4・3記念館は現代史を歪曲し、大韓民国建国の正当性を否定して、李承晩(イ・スンマン)元大統領の名誉を傷つけている。大韓民国の現代史を正しく記録するという観点で提訴する」として、同館の展示の禁止を求める訴訟をソウル中央地裁に起こした。今回の訴訟には、李承晩元大統領の養子のイ・インスさん(84)と、済州島四・三事件で島民の蜂起の鎮圧に携わった将兵の孫2人なども、韓弁と共に原告に名を連ねた。このほか、大法院(日本の最高裁判所に相当)裁判官出身のイ・ヨンウ弁護士(73)と、憲法裁判所裁判官出身のクォン・ソン弁護士(74)も弁護団に参加した。

 韓弁側は訴状で「済州4・3記念館はパンフレットや展示物を通じ、済州島四・三事件を『不条理に立ち向かった済州道民の正当な抵抗を、李承晩(イ・スンマン)政権が無残な殺戮(さつりく)によって弾圧した事件』と定義している。済州島四・三事件が発生した背景には、大韓民国の建国そのものに反対し、自由民主主義体制を拒否して、共産主義政権を樹立しようという企てがあったにもかかわらず、展示館はこれを隠蔽(いんぺい)し、現代史を大きく傷つけた」と主張した。

 これに対し済州4・3記念館側は「展示物は済州島四・三事件に関する政府の真相報告書を基に、数回にわたって展示委員会との間で評価や検討を重ねて、展示を決めたものだ」と反論している。

アン・ジュンヒョン記者
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/03/23/2015032301518.html 

=管理人補足=
済州島四・三事件(さいしゅうとうよんさんじけん)は、
1948年4月3日に在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁支配下にある南朝鮮(現在の大韓民国)の済州島で起こった島民の蜂起にともない、南朝鮮国防警備隊、韓国軍、韓国警察、朝鮮半島本土の右翼青年団などが1954年9月21日までの期間に引き起こした一連の島民虐殺事件を指す[2]。
韓国政府側は事件に南朝鮮労働党が関与しているとして、政府軍・警察による粛清をおこない、島民の5人に1人にあたる6万人が虐殺された[3]。また、済州島の村々の70%が焼き尽くされた[3]。また、この事件は麗水順天の抗争の背景にもなった。

現在の韓国政府の対応;
長年「反共」を国是に掲げてきた韓国では、責任の追及が公的になされていない。また、事件を語ることがタブー視されてきたため、事件の詳細は未解明である。21世紀になって、韓国大統領となった盧武鉉は、自国の歴史清算事業を進め、2003年10月に行われた事件に関する島民との懇談会で初めて謝罪した。また、済州四・三事件真相糾明及び犠牲者名誉回復委員会を設置している。さらに2006年同日の犠牲者慰霊祭に大統領として初めて出席し、島民に対して正式に謝罪するとともに、事件の真相解明を宣言した[10]。

事件から逃れて日本に密航した済州島出身の在日韓国人は、その恐ろしい体験から「また酷い目にあわされるのではないか」と祖国へ数十年も訪れることのない人々も多かったが、韓国政府が反省の態度を示し始めたことで、60年ぶりに祖国を訪れる決心をした人物も現れ始めている[11]。

wikiから抜粋
ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%88%E5%B7%9E%E5%B3%B6%E5%9B%9B%E3%83%BB%E4%B8%89%E4%BA%8B%E4%BB%B6