1:2015/01/31(土) 01:09:00.59 ID:
▲韓・日古代史研究、チェ・ジェソク高麗大名誉教授

(前略)

高麗大学で社会学を教えたチェ・ジェソク名誉教授は韓国古代史を研究する過程で日本の韓・日
古代史歪曲に大きく驚いた。彼は韓・日古代史の真実を明らかにするため、韓・中・日3国の1次史料を渉猟し、日本の学者たちの主張に徹底して論駁した。しかし、彼の主張は韓国主流史学界
から歓迎されなかった。既存の学説に反、学界の権威者を正面から批判したからだ。

チェ名誉教授は「社会学を勉強する人がなぜ歴史に手をつけるのかという学界の偏見は克服困難なほど強かった」と話した。しかし、今、彼が主張した多くの理論に関心が高まっている。今月13日、京畿道盆唐の自宅でチェ名誉教授に会い、韓国古代史記述の問題点、学界の限界など訊ねた。インタビューはハンガラム歴史文化研究所イ・ジュハン研究員が進行した。

―韓国・日本古代史を研究することになった契機は何か。

「日本の学者たちが三国史記初期記録は伝説だ、操作されたと言う。そのように言うのは古代韓・
日間に何か隠されている事実があると感じた。そうでなければ、そんなことを言う理由がないから
だ。ところが韓国の若い教授らも同じ話をした。大いに怒りを覚えた。それが研究の契機になった
ようだ。」

―何が隠されていたのか。

「日本の人々が主張するように古代、韓国は日本の植民地ではなく、少なくとも同等、さもなけれ
ば日本が私たちの植民地だったということだ。」


―そのような内容が日本側の記録にもあるのか。
 
「日本書紀の内容中、80、90%は古代韓国が日本の植民地と言っている。残りは当時の日本、す
なわち‘大和倭’が韓国の植民地であることを明らかにしているが、彼らはそれを隠せなかった。も
う一つ、明らかなのは日本の造船航海術の未熟さだ。当時、日本は造船航海術が発展しておらず、中国、韓国に渡れなかった。それでどうして韓国を支配するのか。また(百済が滅亡する頃)、羅唐聨合軍の攻撃を受けた百済は日本に逃げ、今の九州から奈良まで百済山城を作った。それが今も残っている。他国に山城を築きはしない。自国だから日本に行き山城を築いたのだ。

―日本は任那日本府説を主張する。

「‘任那’が‘伽揶’という話はどの記録にもない。日本古代史学者が作った言葉だ。伽揶を任那にこじつけたのだ。それで伽揶のあった地域で発掘してそうしたのだ。」

チェ名誉教授は古代韓国の日本経営をより具体的に見せる事例として1971年発掘された武寧(ムリョン)王陵をあげた。陵から出た誌石(被葬者の名前や家系、行跡などを書いて墓に残した記録)と棺などを根拠とした。

―武寧王陵はどんな意味があるのか。

「古代韓・日関係でいくら強調しても行き過ぎではない一番重要な遺跡だ。武寧王は日本を統治した王だ。誌石に武寧王の死を‘崩’と表現した。王や王子が死ねば‘薨’と書いて皇帝が死ねば崩と表記する。誌石は武寧王が死んだ当時に書かれたものだから(高麗時代に出版された)三国史記より重要な資料だ。武寧王の棺が日本だけで得られる木で作られたことも重要だ。日本を統治したので日本が捧げたものだ。本当に重要な資料だ。これを歴史本には必ず入れるべきだ。

>>2-5あたりに続く

ソース:世界日報(韓国語) [光復70年、変えなければならない韓国史]「百済が古代日本事実上統治…国史教科書変わらなければ」
http://www.segye.com/content/html/2015/01/29/20150129019645.html