1:2015/01/28(水) 16:52:03.22 ID:
朝鮮王朝の国家祭事施設であるソウル鍾路区(チョンロク)の社稷壇の復元が今年上半期に推進される。本による植民地支配期に公園が造られて毀損される前の姿を取り戻す。

文化財庁は27日、「社稷壇の象徴性と歴史性を回復するために社稷壇復元整備を計画し、今年から復元を行う」と明らかにした。

社稷壇は、朝鮮時代に王が土地と穀物を管理する社稷に祭祀を行った場所だ。現在、社稷壇は祭壇と階段、塀だけが復元されており、祭壇の周辺にあった13の主要な殿閣は1922年に公園が造成されてなくなった。光復(解放)後も、栗谷李珥と申師任堂の銅像が建設されるなど、社稷壇の本来の機能と関係のない施設が建てられた。

このため、文化財庁は早ければ4月から殿閣の場所の発掘を行い、礎などが残っているか調べる予定だ。文化財庁のキム・ジェギル事務官は、「植民地支配期当時に撮られた写真があるが、発掘して跡が発見されれば、より正確な復元位置を把握できる」と話した。

今年から12年間で164億ウォンの予算が投入される。2017年までに銅像を移転し、殿閣の基本設計を終え、2027年までに本格的な復元工事に入る。文化財庁は、社稷壇の復元の時点を植民地支配期に毀損される前の20世紀初期としている。肅宗(スクチョン)が社稷壇を整備してから1911年に社稷大祭廃止前までの社稷壇の構造物に関する記録が残っていないためだ。

地域住民が反対した社稷壇圏域内の住民センターや鍾路(チョンロ)図書館、子ども図書館の撤去は、祭礼空間である安香閣と典祀庁の復元が終わり次第、推進するかどうか再び決める方針だ。

ソース:東亜日報 JANUARY 28, 2015 07:18
http://japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2015012837758
1f8bdc42.jpg 

=管理人補足=
ソウル社稷壇;
ソウル社稷壇 (そうるしゃしょくだん、ソウルサジクタン、서울 사직단) は、李氏朝鮮時代、朝鮮国が、国家として土地の神である「社」と、穀食の神である「稷」に対して祭祀をおこなった場所である。

李氏朝鮮の初代国王である太祖 (李成桂) が、漢陽 (現在のソウル) に都邑を定めたおり、周礼の「左廟右社」の原則にのっとり、景福宮の東側に宗廟を、西側に社稷壇を設けたのが始まりである。

社稷壇は二重の柵に囲まれており、柵の四方にはホンサルムン (ko:홍살문、紅살門、屋根が無く桟がついている赤い門) が設けられている。土地の神に祭祀をおこなう社壇 (サダン) は東側に、穀食の神に祭祀をおこなう稷壇 (ジクダン) は西側に配置され、壇の形は「空は丸く地は四角い」という「天円地方」説に基づき方形で造られた。壇の周りは3段の石段が取り囲み、壇の上は各方角により黄、青、白、赤、黒の5色の土で覆った。

最初に建立されたとき、壇の周辺には東・西・北側の山のへりに沿い囲いをめぐらし、その中に神室 (シンシル) を置いたが、文禄・慶長の役の際、神室などは焼失した。第14代国王である宣祖の末になりようやく修復され、歴代国王の世にまたがり修理が続けられた。神門 (シンムン) は単層の切妻屋根で、元の位置より若干後退している。

日本の統治時代に、都市計画により、公園にされ面積が縮小された。以後1980年代末に社稷壇の整備事業が進められ、壇とその周辺が一部復元された。文化財保護施設として指定されているために、一般人の直接の立ち入りや通行はできない代わりに、社稷壇のホンサルムンや石垣ごしに祭壇の姿を見ることができる。

by wiki
ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%82%A6%E3%83%AB%E7%A4%BE%E7%A8%B7%E5%A3%87