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1右大臣・大ちゃん之弼 ★2020/11/19(木)13:46:46.62ID:CAP_USER.net[1/2]
イチョウの葉を敷き詰めたかのように養殖場のコンクリート水槽の底は一面黄色だった。ゆらめく波に養殖場の照明が映り金色に輝くようにすら感じた。時々底に張り付いていた黄色い物体がすいすいと動いた。正体は「黄金ヒラメ」だ。済州道(チェジュド)の水産種苗・養殖業者のヘヨンが育てた。黄金ヒラメは赤褐色である一般的なヒラメとは違い、つやがある濃厚な黄色だ。見かけの色が違うだけで形と大きさは一般ヒラメと同じだ。黄金ヒラメを養殖する所は世界でヘヨンだけだ。15年近い研究と努力の末に養殖に至った。今年110万ドル相当を輸出し、10日に海洋水産部が贈る「2020海洋水産科学技術賞」で大賞を受賞した。

◇日本から持ってきたヒラメの受精卵を国産化

済州島は韓国の養殖ヒラメの60%を生産する本産地だ。水温と環境が適切で1980年代半ばからヒラメの養殖を始めた。80年代後半には養殖が爆発的に増加した。これには理由がある。バナナの輸入自由化のため済州のバナナ農家が大挙してヒラメ養殖に転向したのだ(『百年食事』、チュ・チンハ)。

ヘヨンのソ・ジョンピョ代表が養殖と水産種苗(稚魚)分野に足を踏み入れたのも済州島のヒラメ養殖の胎動期である80年代半ばだった。高校を卒業し兄が経営していた養殖場で働き始めた。ソ代表は「幼いころからただ魚を見るのが好きだった」と話す。

最初はウナギ養殖をしていたがヒラメに変えた。当時ヒラメは日本から受精卵を持ってきて育てていた。ところが受精卵はとても高価だった。最近韓国で叫ばれる「素材・部品・装備独立」と似ているといえるだろうか。ソ代表は「受精卵独立」の道を模索した。ヒラメの人工受精はうまくいかなかった。ヒラメが自然のようにペアリングできるよう誘導するためえさと水温、光を照らす時間などあらゆる条件を調節した。

知識不足を感じ遅ればせながら済州大学増殖学科(現海洋生命科学科)に入った。それでも多くの時間を養殖場でヒラメを見守りながら過ごした。講義室での勉強より現場実習中心に大学生活をした格好だ。ソ代表が「一生の恩師」というイ・ヨンドン教授(済州大学海洋科環境研究所長)も支えた。80年代中盤に始めた研究は90年代初めに実を結んだ。いまヘヨンは韓国のヒラメ養殖用受精卵の80%を供給する。

ヒラメの受精卵とともに最高級の刺し身になるアラの養殖にも挑戦した。15年かかって2000年代初めにアラの稚魚を育てるのに成功した。だが中間で死なずに刺し身になる大きさまで育てるのはまた別の技術が必要だった。結局数回稚魚を海に放流する程度でアラ事業はやめた。いまは別の業者がアラを養殖する。代わりにソ代表は「アラの父」というニックネームを得た。

次の課題は黄金ヒラメだった。「本でも見たし、ある時は1度『黄金ヒラメが捕獲された』という記事が新聞に載ったりもしました。中国をターゲットにして養殖すれば良いのではないかと考えました」。

言われてみれば特に味も良くなく韓国では見向きもされないニベも金色を帯びているという理由で中国では貴重な存在ではなかったか。中国のヒラメ取引先も「黄金ヒラメの養殖に成功すれば大当たりするだろう」と話した。ひとまずヒラメ流通商と養殖場に「もし黄金ヒラメがいたら知らせてほしい」と頼みこんだ。ソ代表によると当時韓国では年間にヒラメ約1億匹が育てられていた。それでも2005年から2008年までの4年間に確保した黄金ヒラメは8匹だけだった。それだけ貴重だった。

初めは当然(?)失敗の連続だった。稚魚が生まれても病気にかかった。それでもあきらめなかった。タイミング良く韓国政府が推進していたゴールデンシードプロジェクトの支援を受けた。ゴールデンシードプロジェクトは高付加価値種苗産業を育成する政策だ。

続く。


ⓒ 中央日報/中央日報日本語版 2020.11.19 13:08
https://japanese.joins.com/JArticle/272470?servcode=300&sectcode=320


ヘヨンのソ・ジョンピョ代表が直接育てた黄金ヒラメを持ち上げて見せている。クォン・ヒョクジュ論説委員