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1蚯蚓φ ★2020/09/22(火)21:47:07.73ID:CAP_USER.net

▲新しく発見された台中義挙チョ・ミョンハ義士写真

日帝強制占領期間である1928年、台湾でヒロヒト(裕仁)日王の妻の父であるクニノミヤ・クニヨシ(久邇宮邦彦)陸軍大将を刺.殺.に出て日本を衝撃に陥れた趙明河(チョ・ミョン、1905~1928年)義士が通りに立った姿をとらえた珍しい写真が台湾で発見された。

チョ・ミョンハ義士研究会長であるキム・サンホ台湾修平科学技術大学教授は22日、聯合ニュースとの電話インタビューで1928年義挙直前に撮影されたと推定されるチョ義士の写真を新たに見つけたと該当写真を聯合ニュースに公開した。

1920年代台湾台中市の繁華街である継光街の写真は台湾の個人資料収集家である林于昉氏の所蔵だ。写真の通りの左側にチョ義士が1928年5月、義挙当時働いていた喫茶店・富貴園があり、店の直ぐ前にチョ義士と見られる人物が自転車を立てその横に立っている。


▲同様の服を着ているチョ・ミョンハ義士

キム教授は「当時の通りに姿を現わした写真資料を調査している間、富貴園勤務服を着た青年が立っている姿が写った写真に視線が止まった」と話した。キム教授をはじめとするチョ・ミョンハ研究会会員たちと遺族である初孫チョ・ギョンファン氏はたとえ写真の中の人物が小さくても人相・着衣に照らしてみればチョ義士の姿に合うと判断した。写真の中の青年はチョ義士が義挙後、逮捕当時着ていた服と同じ服を着ている。また短い頭と比較的小さな背丈など身体的特徴もチョ義士の姿と一致した。

この写真はチョ義士が富貴園で働いていた1927年11月から1928年5月、偉業前の期間に撮影されたものと推定される。独立運動組織に属せず、「単独義挙」に出たチョ義士は写真や書簡など自身の人生に関する記録をほとんど残さなかった独立活動家であった。そのため、彼の姿を撮った追加写真の発見には小さくない意味があると専門家たちは話す。

これまで私たちの学界が発見したチョ義士の写真は合計三枚に過ぎなかった。今回の写真発見でチョ義士の写真は合計四枚に増えることになった。


▲「台中義挙」チョ・ミョンハ義士

チョ・ギョンファン氏は「(台湾にいらっしゃる)当時、月に一度程度、黄海道(ファンヘド)の家族に手紙を送られたおじいさんは偉業後、被害が及ぶことを心配して手紙を読んだらみな焼けといった程、自身に関する記録を残さないようにし写真も何枚もなかった。四枚目の写真が発見されて運が良かった」と話した。

今回新しく発見されたチョ義士の写真は独立活動家が偉業直前、自ら撮影して残したり逮捕後、捜査や裁判過程で写された写真でなく自然な日常の姿を現わしている点でも独立運動関連資料として価値を持つとキム教授は説明した。まるで1920年代、台湾台中の「ストリートビュー」に青年チョ・ミョンハの姿が偶然に発見された様なものだ。
(中略:「義挙」の場所の同定)

チョ義士は1928年5月14日、ものものしい警備を突き抜けて毒を塗った短刀を持ち台中市の道路を自動車に乗って通ったクニノミヤ隊長を急襲した。日本の警察と検察はチョ義士が警護官に遮られるとすぐに投げた短刀はクニノミヤには当たらなかった、と発表したがクニノミヤは翌年1月、腹膜炎で死亡した。


▲90余年前、チョ・ミョンハ義士の短刀

クニノミヤは日本が神聖視したいわゆる「皇族」の一員で当時、日王の妻の父だった。それだけでなく日本の軍部と政界に強大な影響を及ぼす実力者だった点でチョ義士の「台中義挙」は日帝に大きな衝撃を与えた。チョ義士は偉業直後、逮捕されてその年10月10日台北刑務所死刑場で二十三の年齢で殉国した。

[聯合ニュース]

ソース:毎日経済(韓国語)日王妻の父に短刀飛ばしたチョ・ミョンハ義士写真台湾で発見
https://www.mk.co.kr/news/world/view/2020/09/975399/