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1蚯蚓φ ★2020/09/11(金)16:27:02.76ID:CAP_USER.net
私たちの社会で「国民」という用語は最も多く使われる日常用語の一つだ。特に政治家が非常に愛用する。政党の名称でも「国民」はいつも最優先順位に上がって、それをめぐる論議も続く。

ところでこれと全く異なる次元で私たちがあまり知らない驚くべき事実がある。それは現代社会で全世界的に「国民」という用語はほとんど使われず、しかも誤った訳語だったという事実だ。

本来'nation'という英単語の正しい意味は「民族」や「国家」あるいは「一国を成す人々」だ。しかしこの'nation'はその正確な意味が「国民」と誤って知られているのが今日の「確固不動の」現実だ。そして例えば本来「民族国家」である'nation-state'も「国民国家」が正確な翻訳のように「普遍化」してしまったのが現実だ。

学界と言論界もやはり何の疑いもなしにこれを受け入れている。今日、全世界的に'nation'を「国民」の意味で理解する国はほとんどない。ところが例外的な国がある。それは日本そして我が国だ。'nation'の概念がこのように「国民」と誤って知らされたことは日本帝国主義時代に'nation'をはじめとする西洋用語が日本によって大々的に翻訳されて広く使われたためだ。

封建的国家主義体制であった日本帝国主義は「国民」という用語を無意識的に「選好」し、あるいは意図的に「選択」して広く普遍化させたと見られる。そして日帝強制占領期間を経て今まで依然として日本文化と考え方を徹底して克服できずにいる私たちの社会でも「国民」という用語が氾濫しているのだ。

一方「国家」という漢字語は本来、諸侯が治める「国」と卿大夫が治める「家」の総称として「特定の境界を持つ支配地と支配民」を意味している。中国古代周王朝は政治と血縁という二種類の基準によって「家」と「国」が一体化した宗法権力体制を構築した。

日本では律令用語で「国家」とはすなわち天皇を意味してきた。今は「小学校」に名称が変わった「国民学校」という用語は「皇国臣民」あるいは「国家臣民」を養成するという日本帝国主義の初等教育政策から始まったものだ。

このように「国家」とは家族の秩序が拡大した概念として自律的な市民社会の存在は想定されていない。ひたすら特定の領土内に住んでいる臣民としての「国民」という概念があるだけだ。「臣民」とは社会という集団的活動に参加できる権利と義務を全て持った「市民」あるいは「公民」と決して同じ範疇の用語にはなれない。

「国民」という用語に対比される言葉が「市民(citizen)」あるいは「公民」という概念だ。「市民」とは政治に参加できる、すなわち参政権(選挙権と被選挙権)を持ち、同時に国家権力に対する監督権を持った人々を指す。「公民」という概念も我が国でほとんど使われない用語だが、「ひとりひとりが個人として自覚し社会に参加する」という主体的な個人主義の人間観が強力に反映されている。私たちがよく話すいわゆる「全体」は責任と意識を持った個人ひとりひとりから成立したものだ。

そして「市民」という概念は歴史的に絶対王政を打破する過程で無能で腐敗した絶対権力に対抗する「自由人の政治的実存方式」と形象化された。「市民」という概念は自身の私的利益と共に公共の利益も同時に追求する存在であり、結局「国家または、社会の能動的構成者」または「国家または、社会を作る個人たち」としての「市民」の参加は国家の主な政策に対する決定過程で普遍的な手段になり、民主的行政の重要な特徴の一つになった。

結局、「国民」という用語は国家主義的用語として現代社会に符合せず、しかも日本によって間違って翻訳された用語として今後すべての人々が意識的に使用を自制しなければならない代表的用語に属する。


ソ・ジュンソプ市民記者

中国の復旦大学で国際関係学博士を受け、これまで<オーマイニュース>と<プレシアン>など複数のメディアに寄稿している。

ソース:オーマイニュース(韓国語)政界が愛用する'国民',自制しなければならない用語
http://www.ohmynews.com/NWS_Web/View/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0002674773

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