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1蚯蚓φ ★2020/05/19(火)23:14:41ID:CAP_USER.net
新種コロナウイルス感染症(コロナ19)に対する日本の未熟な対応の報道に接して「日本はなぜ、あの程度の対処しかできないのだろうか」といぶかる韓国人が多いようだ。ある者は日本人の几帳面なイメージを思い浮かべて首をかしげるかも知れない。
「パリパリ(早く早く)」に慣れた韓国人は状況変化により、その時その時、融通性をもって処理するが、日本人はそのような能力が大きく落ちる。

「自分で考えてすること」「表現すること」「開かれた空間」に弱いという三種類の属性から日本のコロナ事態対処が未熟な理由を探してみようと思う。

まず日本人たちは「アラソ(自分で考えてする)」式の処理がとても未熟だ。
これは日本の歴史的背景と関係が深い。日本は9世紀末から中国・唐の文物の影響力が減り、その後、12世紀末に成立した鎌倉幕府から1868年明治維新まで約700年間、武士政権が続いた。武士政権の強い法度の下で与えられたことにまい進する方向習性が強い国民は、規則にともなう行動は上手くなったが、自ら判断して行動する細胞は退化した。
その結果、臨機応変式の対処が多く要求されるコロナ事態のような状況では未熟さが露呈しやすい気質が形成された。韓国で多く使われる「アラソする」(訳注:「自分で判断して」「勝手に」「適当に」など場面によって訳し分けられる言葉。対応する日本語では否定的なニュアンスが伴うので訳しにくい)という言葉は日本ではほとんど使われない。

次は情報やノウハウを「表現すること」を非常に敬遠する点だ。
日本人は批判を受けたり咎められることを異常なほど嫌い、これを恐れる。日本には「臭いものには蓋をする」ということわざがある。お互いに敏感だったり張りつめる話題は口にしないようにする。蓋を開いて表現し取り除いて接近することができず、推進の核心に到達できないまま周辺をぐるぐる回ってうやむやにする。コロナ19感染有無(PCR)検査は積極的にせず、部屋に閉じこもっていろという「引きこもり自粛モード」を継続している。隠したまま、弱まることを願うような愚かな対処だ。

最後に「開かれた空間」に弱い点を見てみよう。
武士政権下では町や村が横に開かれた空間として連結される動力は作動しなかった。自身が属する村を抜けて移動できる自由が大きく制限された中、同じ村の人々から除け者にされる「ムラハチブ(村八分)」という刑罰は日本人にとって心理的に苛酷だった。そうするうち、村の中で自分の仕事は上手にするが、鳥瞰する視野が不足し全体を把握しようとする関心も弱くなった。
境界を行き来する「開かれた空間」的思考の欠如がコロナ事態対処の未熟さにつながった。強力な権限を握る指令塔の下、統一的基準の迅速なコロナ19感染対策施行が難しいという意味でもある。

日本人の属性と異なり韓国人は状況を「分かって」対処する指向が強い。今回のコロナ事態では情報の透明性も目立った。今年2月、大邱(テグ)新天地教会で感染爆発が起きた時も国家次元の感染対策指令塔機能がよく発揮された。心配なのはいきなり飛び出してきた逸脱者が医療関係者の苦労や国民の努力を台無しにし、国家経済にも莫大な被害をもたらす手のつけられない状態にする行動だ。

今月の初め、梨泰院(イテウォン)クラブ集団感染がその例だ。韓国の迅速なコロナ対応が日本の未熟な対処と対比される中、今回のコロナ事態で私たちの所得水準(1人当りの国内総生産)が日本を越える時期が前倒しになるようだ。

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▲鞠 重鎬(クック ジュンホ)<横浜市立大学経済学科教授>

ソース:韓国経済(韓国語)[世界の窓]コロナ対処に未熟な日本人の三種類の属性
https://www.hankyung.com/opinion/article/2020051803041