韓国 K 

1
:2014/02/26(水) 01:46:30.96 ID:
1938年大韓民国臨時政府は3・1記念日記念式で"3・1運動はフランス大革命に比較しても遜色のない民族運動" とし、3・1運動の‘革命性’を強調した。 日帝の植民支配に対抗した独立運動であり、君主制に反対し‘民主共和国’理念の種となった反封建革命という規定だった。

以後3・1運動は解放後まで‘3・1革命’と呼ばれた。制憲憲法草案にも‘3・1革命’と表現された。だが、制憲憲法には結局‘3・1運動’という名称が使われた。反封建闘争の意味が縮小されたのだ。

‘3・1革命’という名前を生き返らせようという動きが起きている。
独立活動家の子孫たちと市民・宗教団体会員たちが乗り出した。


カン・マンギル前親日反民族行為真相糾明委員会委員長とキム・サミョル独立有功者遺族会会長、キム・ウジョン前光復会長など70人余りは26日、ソウル中区(チュング)の韓国言論振興財団で‘3・1革命100周年記念事業推進委員会’(3・1革命推進委)結成式を開くと25日明らかにした。

3・1運動の歴史的性格を再確立し、名前を‘3・1革命’に変えようとする集いだ。学界で3・1運動の革命的性格を論じたことはあるが、3・1運動を革命として認識しなければならないという本格的な運動は今回が初めてだ。 3・1運動は来る2019年に100周年を迎える。


3・1革命推進委は、制憲憲法で‘3・1運動’という名称が確定したことにより、‘君主制との革命的断絶と民主共和国指向’という歴史的意味が脱落して‘日帝植民統治からの解放を指向する独立運動’に限定されたと指摘した。

イ・ジュンソク民族問題研究所研究委員は「3・1革命当時、各界各層は独立と共に君主制ではない近代国家を作る未来を夢見たし、この精神を臨時政府が受け継ぎ民主共和国の政治体制を作ることになった。臨時政府の人々は3・1革命を民主と平等という近代国家の価値を追求した民主革命として把握した」と説明した。

3・1運動の直後である1919年4月に制定された臨時政府の大韓民国臨時憲章は‘民主共和制’政体を確実にした。以後、1919年9月大韓民国臨時憲法、1927年大韓民国臨時約憲、1944年大韓民国臨時憲章などでも民主共和国理念は維持された。

パク・チャンスン漢陽大教授(史学)は 「大韓民国臨時憲章で民主共和制を規定したことは、1920年代に入ってようやく民主共和国という用語が憲法に入ったヨーロッパよりも先んじていた」と評価した。

それでも結局‘運動’と規定されたのは、李承晩元大統領の影響が強く作用した。制憲憲法草案と憲法起草委員会の草案などでは‘3・1革命’と表現されていたが、1948年7月の速記録を見れば李承晩元大統領は "革命は我が国政府を転覆しようということだが、仇なす国(日帝)にきて、あるものを覆すことは革命ではなく抗争" とし‘革命’規定に反対した。ここに一部議員も力を加え‘運動’に整理された。

ハン・インソプ ソウル大法学専門大学院教授は「日帝治下で独立活動家たちは己未年事件を3・1革命として把握し、解放後にも3・1革命という用語が一層頻繁に使われた」と話した。

パク・スンホン記者 abcd@hani.co.kr

http://japan.hani.co.kr/arti/politics/16781.html