(イメージです。)
 
1蚯蚓φ ★2019/04/06(土)15:11:03.62ID:CAP_USER.net


帝国主義日本は私たちの土地を飲み込むやいなや桜を大々的にひろめた。合併翌年の1911年、昌慶宮(チャンギョングン)を昌慶苑に格下げして数千株の桜を植えた。木が結構育った1924年からは夜間に公開し始めた。「夜のお花見」はこの時から毎年欠かさなかった。日帝は人々がたくさん集まる場所であればどこにでも桜を植えた。官公庁・大通りの傍・遊園地などには桜の花があふれた。管轄官庁で責任をとり育てるようにした。

日帝はそれと共に私たちの花であるムクゲは無慈悲に踏みにじった。子供たちにはムクゲを真っすぐ見つると瞳が花びらのように赤く変わると嘘まで言って忌避させるようにした。眼病ができると怖がらせたのだ。ムクゲには肥料をまいてはならないともした。そのせいでムクゲは花を満足に咲かせられなかった。葉と幹が弱くなってアブラムシがわいた。その上日がよくあたるところにはムクゲを植えないようにした。太陽の光がよく入らないトイレやごみ箱の近くだけに植えることを許した。ムクゲは縮むほかはなかった。眼に触れない所に押し出されなければならなかった。
(中略:『植民サクラ』に対する当時の批判)

この様な抵抗感を物ともせずムクゲは消え、桜の花だけ増えた。有名な鎮海の桜は1910年に2万株植えられた。光復後、日帝残滓をなくすとほとんど切り捨てたが、1962年に日本の苗木をまた導入して植えた。済州道(チェジュド)が桜の「原産地」という事実が明らかになったためだといった。我が国が原産地なのに忌避する理由はない、という論理であった。

そのような間に私たちはお花見にはまっている。桜の開花時期が例年よりはやい、遅いと言いながら待っている。メディアはいつ頃が絶頂等の「親切な」報道を毎年欠かさなくなっている。

日本との関係が刺々しくなり、日本製品を嫌って、「土着倭寇」論争を行っても桜の花だけは例外だ。慰安婦ハルモニが謝罪の一言も聞くことができず、恨を抱いたままぞろぞろ亡くなっても桜の花だけは例外だ。3・1運動100周年の今年も違わない。

「サクラ」という桜の日本名は韓国語の「消えていく(サグラジダ)」からできたという。ぱっと開きながらも雨が少し降れば直ちに消えていく花という言葉だ。しかし、大韓民国から「サクラ」は消えずにいる。
(後略:冬桜祭りの紹介)

(訳注:「サグラジダ」には他に「朽ち果てる」「(恨が)とける」等の意味がある)

イ・ジョンソン/グローバルエコノミック記者

ソース:グローバル・エコノミック(韓国語) [Gコラム]消えていかない「サクラ「
http://www.egreennews.com/view.php?ud=201904040530242393a218188523_1