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1ハニィみるく(17歳) ★2019/03/25(月)11:41:21.62ID:CAP_USER.net
『日本の酒』と言えば一般的にどのような酒が思い浮かぶだろうか?おそらく大部分は日本式清酒、『サケ(さけ・sake)』を思い浮かべるはずである。ところが以外と日本では、このサケよりも他の酒の方を飲む。それは『日本式焼酎(しょうちゅう・shochu)である。ただし、日本の焼酎は韓国の焼酎とは少々異なる。韓国は緑色の瓶に入った希釈式焼酎が焼酎市場全体の99%近いシェアを持っている。一方、日本はサツマイモや麦などを利用した蒸溜式焼酎が市場をリードしている。韓国は酔うために焼酎を飲むが、日本は原料の風味を楽しむために焼酎を選択する。

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▲ 日本の壱岐島で生産されている代表的な麦焼酎、『ちんぐ』

このような日本の焼酎文化に朝鮮が関与したという事実がある。朝鮮王朝実録を見れば、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)以前に対馬の島主に持続的に焼酎を下賜する様子が伺える。15世紀の朝鮮は倭寇の頻繁な侵入から対馬島を征伐しつつ、釜山浦・乃而浦(昌原)・塩浦(蔚山)などの三浦を対象に倭人の往来と居住を許可するなど、懐柔策と強硬策を同時に展開した。この時代、対馬島主は朝鮮政府から『対馬島節制使(従三品)』および『僉知中枢府事』’などの官職を受け、旧韓末まで朝日間の交易および外交関連の仕事をした。我々に馴染み深い対馬島の人物では、旧韓末の徳恵翁主の夫である宗武志で、まさにこの対馬島主の家柄である。

興味深い事は、対馬島主に焼酎を授けたが、対馬島では焼酎を普及させる事ができなかった。理由は簡単である。農業ができるほどの土地がないからである。対馬島は極めて痩せた土地に山脈が連なっている。米や麦などはほとんど栽培していない。対馬島の酒醸造場は、サケ用の米を日本本土から受けている。山脈が連なっているので隠れ易く、食べ物がなければ略奪に打って出るしかなかった。これは倭寇勢力が潜むには良い自然環境だった。

対馬島に定着をする事ができなかった焼酎は、50km離れた壱岐島で開花する。ここには平地がある豊かな場所である。隠岐島では麦焼酎が発達する。結局、朝鮮から送り込んだ焼酎は対馬島ではなく、隠岐島という場所で開花する事になったのである。

ちなみに日本の麦焼酎の起源が朝鮮という話は、我々だけの主張ではない。日本の国税庁でも、隠岐島の麦焼酎が朝鮮半島から由来したという主張を最も有力なものとして記載している。日本の公式サケソムリエのホームページでもこの部分に言及している。

日本は隠岐島の麦焼酎を保存するために多くの努力を傾けた。フランスのシャンパーニュ地方で作られたシャンパン、コニャック地方で作られたコニャックと共に、世界貿易機関(WTO)が指定した『地理的表示』を隠岐島の麦焼酎が受けたのである。つまり、隠岐島の麦を使って作った焼酎に限り、『隠岐焼酎』という称号が使えるのである。一方で我々の酒のうち、WTOが認めた『地理的表示制』を受けた酒が一つもない。極めて残念な部分である。

ソース:NAVER/世界日報(韓国語)
https://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=103&oid=022&aid=0003348905