ベトナム 

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:2014/09/08(月) 20:32:53.42 ID:
 ベトナムは中国と1450キロメートルにわたり国境を接している。韓半島(朝鮮半島)が中国と接している1360キロメートルとほぼ同じ長さだ。ベトナムは紀元前111年に漢の武帝に征服される。古朝鮮も同時期の紀元前109年、武帝の攻撃を受けて滅亡している。韓国は313年に中国勢力を追い出すことができたが、ベトナムは939年に独立王朝を建てるまで、1000年間にわたり中国に抵抗し続けた。

 ベトナムが中国に接近したのは1949年、中国に共産党政権が発足してからだ。ベトナムの国父ホーチミンが1920年代から中国共産党の指導者・周恩来やトウ小平など交流したのも、長年の敵対関係を改善する助けとなった。ベトナムは1950-75年にフランスや米国と戦ったとき、「共産革命同志」中国から200億ドル(現在のレートで約2兆円)に上る武器や物資の支援を受けた。中国が65-73年にベトナムに送った支援部隊は32万人に達する。60年前の第一次インドシナ戦争で、ベトナムがフランスを追い出したディエンビエンフーの戦いでは、中国が支援した105ミリ曲射砲が決定的な役割を果たし、勝利につながった。

 両国の蜜月関係は長くは続かなかった。69年にホーチミンが死去すると、中国は米国との関係改善を模索し、ベトナムは中小の紛争でソ連側に付いた。ベトナムがソ連をバックにして東南アジアで勢力を拡大すると、トウ小平は79年に20万人を動員してベトナムに侵攻した。当時、中国は「統一ベトナム」が東南アジアの盟主になることを望んでいなかったという。

 中国とベトナムは91年に国交を正常化して和解する。両国とも改革・開放(ベトナムではドイモイ)を推進する上で、経済的に協力する必要があったからだ。昨年の両国の貿易額は503億ドル(約5兆2400億円)で、ベトナム全体の貿易額の5分の1を上回る。しかし、両国は領有権争いという火種を抱えていた。74年、中国が武力で奪った南シナ海の西沙諸島(パラセル諸島、ベトナム名・ホアンサ諸島)がその発火点だ。

 中国は今年5月、ベトナムから約300キロ離れた西沙諸島沖に一方的に石油ボーリング船を設置した。
 ベトナムは哨戒艦や漁船数十隻を石油掘削船に向かって突進させ、抵抗した。このころは反中デモにより、ベトナムに進出した中国系工場が多数燃やされたため、両国関係回復は容易でないと思われた。
 中国はベトナムへの新規投資を制限するなど報復行動に出た。

 しかし、ベトナムは中国に頭を下げなかった。その代わり米国を巻き込んだ。米国のマーティン・デンプシー統合参謀本部議長は8月16日、ホーチミンで「近くベトナムに対する武器禁輸措置を解除しようと思っている」と述べた。米統合参謀本部議長のベトナム訪問は71年以来43年ぶりのことだ。
 中国はベトナムと米国の接近に気づき、7月に石油掘削船を撤収させた。中国が領有権争いで譲歩するような姿勢を見せるのは異例のことだ。ベトナムは今回の領有権争いで米国からも中国からも実利を得たわけだ。

 中国を封鎖しようとする米国や日本・フィリピンに続き、ベトナムまで敵に回すのは難しいという中国の状況を見通していたのだ。

 韓半島とベトナムは中国から離れることもできず、地政学的に大国の利益が交錯している。ベトナムが超大国を相手にする際の「実利外交」は注視に値する。

北京=アン・ヨンヒョン特派員
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版 2014/09/08 07:22
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/09/08/2014090800095.html