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:2014/08/27(水) 00:17:39.54 ID:
今月17日から沿海州の抗日独立運動遊撃地を見て回わるため4泊5日間の日程でロシアに行ってきた。長々19時間の航路を利用した日程だった。愛国運動に献身してきた一部の学者と活動家を中心に作られた今回の訪問団は、それなりの使命感で武装して帰国した。

日帝強制支配期ロシアを中心に独立運動を展開した当時の韓国人社会の足跡を見て回って亡国の恨で献身された殉国烈士、義士、.烈士の隠れた精神を再確認し、これまで多少冷めた憂国の精神を自らさらに育てて帰ってきた。
(中略)

沿海州の渤海遺跡を探査しながら、この土地は当然私たち韓民族の領土だが、弱肉強食の世界の中で高句麗のご先祖の領土開拓業績をちゃんと継承できない私たちの痛みを振り返る謙虚な反省の時間にもなった。その広くて肥沃な土地が今、ロシア人の手にあるということが、もしかしたら私たちの歴史の足跡を探る時の痛みであろう。

渤海が復興した跡を見ながら、まだその歴史的な評価を正しくしていないという痛みも感じた。新羅が三国を統一して以来、南北朝時代の展開に対する私たちの歴史の再解釈がさらに積極的に行われ、私たちの先祖のきらびやかだったその歴史を再び思い出す政府の努力がなければならないという考えだ。一つの大きな教訓は、私たちが国を失う前に富国強兵を成し遂げ、そういう歴史的な痛みを作るべきでないという平凡な悟りだ。(中略)

とりわけ、筆者の胸を感動させたのは、安重根義士が[東洋平和精神]を主張しながら韓半島侵略の元凶である当時の日本総理大臣、伊藤博文を狙撃する出発地ウラジオストックで拳銃と各種必要物を揃え、ハルビン現地に出発したという歴史的事実だ。一説によれば当時、安義士が使った拳銃の弾丸は合計7発を装填できたが、伊藤とその側近を射殺するのに6発を使って残り一発は使わなくて残したという事実だ。

前の6発は倒れた人物が伊藤博文か確信が持てず、周囲の人々を撃ったが、これらがすべて倒れるとすぐに生命を尊重する平和精神を実践するため一発は撃たなかったというのだ。彼は天主教信者で殺生をすることに対し容赦を祈りながら、さらに多くの命を救う義挙として神様も許してくれという丁寧な祈祷を捧げたという伝言は今日を生きる私たちに多くの事を考えさせる。

恐らくこのような私たちの先祖の闘魂と愛国精神があるので、今日たとえ分断された半分であっても、大韓民国が世界史にそびえ立つ精神的な土台になったのだろう。過度に物質文明に支えられて生きていく国民に多くを考えさせる大きな課題であろう。

私たちは先進統一国家を成し遂げるまで、第2の独立運動をする気持ちでさらに富強な国を作って精神文明がきちんと花咲く国の建設にさらにまい進するのが当然であろう。

パク・テウ高麗(コリョ)大教授/台湾国立政治大学国際大学客員学者
ソース:SISNEWS(韓国語) [コラム]克服しなければならない過去の痛み
http://www.sisunnews.co.kr/news/articleView.html?idxno=9031