(イメージです。)
 
1ハニィみるく(17歳) ★2018/10/18(木)10:32:18.61ID:CAP_USER.net
(写真)


去る11日に開かれた済州(チェジュ)国際海軍観艦式で、自国旗を掲げて欲しいという我が方の要請を拒否し、旭日旗に固執した日本が最終的に参加を拒否して、国内の反日感情が一層深まった。日本は旭日旗は海上自衛隊旗なので降ろせないと固執したが、公海上ではない海上観閲に参加する軍艦は、敢えて軍旗を付ける必要はない。

その上、旭日旗はドイツのハーケンクロイツ(Hakenkreuz)と同等の『戦犯旗』として悪名が高く、我が国だけでなく東アジアの大部分の地域の国民が反感を持っている日帝蛮行の象徴である。にもかかわらず日本の安倍政権と日本の右翼勢力は、自国の国旗である日章旗(日の丸)よりも旭日旗に固執する。靖国神社など日本の極右勢力が主に集会を開く場所に行くと、日章旗よりも旭日旗の方が容易に見る事ができる。

これらが旭日旗をこれほど愛する理由は単に、日帝当時の『大東亜共栄権』と呼ばれた虚像のためだけではない。旭日旗とは違い、日章旗を全般的に『恥ずかしい旗』と考える日本の右翼の本音も潜んでいる。実は日章旗は本来、15世紀から単なる貿易許可証の概念として描かれた旗だった。そのため単純に『丸い日』という意味のヒノマル(日の丸)と呼ばれた。当時には赤い染料と白い布地が最も価格が安かったためおおざっぱな丸い形で表示していたのだが、これが16世紀以降、西洋諸国との交易が始まってから誤解が生じた。西洋人がこれを日本の国旗だと思ったのである。

結局、1999年以前まで日本議会で日章旗は一度も法的国旗として採択されなかった。むしろ1870年以降、陸軍旗と海軍機として使われ始めた旭日旗の方が尊重されるようになった。日本右翼の帝国主義に対する郷愁の裏に、先祖が笑えないアイロニーも同時に含まれていたのである。今後日本がこのような過去に対する劣等意識を完全に乗り越え、日帝の蛮行について反省する事ができる『勇気』を持つ日が来る事を全人類が願っている。

イ・ヒョンウ記者

ソース:NAVER/アジア経済(韓国語)
https://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=102&oid=277&aid=0004336060
 
=管理人補足=
国旗として扱われる以前の歴史
古代から中世

(前略)

この太陽を象った旗を用いるようになったのは、645年(大化元年)の大化の改新以後、天皇による親政が確立された頃からと考えられる[4]。文献としては、797年(延暦16年)の『続日本紀』の中にある文武天皇の701年(大宝元年)の朝賀の儀に関する記述において、正月元旦に儀式会場の飾りつけに「日像」の旗を掲げたとあり、これが日の丸の原型で最も古いものといわれているが、白地に赤丸ではなかったと見られている。(中略)
 
日本で「白地赤丸」が日章旗として用いるようになった経緯は諸説あり正確には不明である。
一説には源平合戦(治承・寿永の乱)の結果が影響していると言われている。(中略)
平氏は御旗にちなんで「赤地金丸」を、源氏は「白地赤丸」を使用した。平氏が滅亡し、源氏によって武家政権ができると代々の将軍は源氏の末裔を名乗り、「白地赤丸」の日の丸が天下統一を成し遂げた者の象徴として受け継がれていったと言われる。 なお、日本では「紅白」がめでたい配色とされてきた。一説には民俗学的にハレとケの感覚(ハレ=赤、ケ=白)にあるとする説や、これも源平合戦に由来するとする説などがある。(中略)

現存最古の日章旗としては、山梨県甲州市の裂石山雲峰寺所蔵のものが知られている[6]。これは天喜4年(1056年)に後冷泉天皇より源頼義へ下賜されたという伝承があり、「御旗」(みはた)と呼ばれて(中略)
 
日本の国旗としての歴史
幕末
船舶用国籍旗としての制定

国旗としての日の丸は、幕末に船舶用の国籍標識(惣船印)として導入され、その後に船舶用に限らず国籍を示す旗として一般化した。(中略)

1854年8月4日(嘉永7年7月11日)、「日の丸」を日本国総船印に定める、とする布達には、次のように書かれている。

大船製造については、異国船に紛れざるよう、日本国総船印は白地日の丸幟相用い候よう仰せいだされ候。かつ、公儀御船は白絹布交の吹き流し中柱へ相立て、帆の儀は白地中黒に仰せ付られ候。(後略)