1:2014/08/09(土) 10:15:25.48 ID:
「うちの子どもたちとどう関係があるんですか」。
東日本大震災から半月後の二〇一一年三月二十五日朝。仙台市にある東北朝鮮初中級学校の校長だった尹鐘哲(ユンヂョンチョル)(53)は、宮城県庁で、目前に迫った二〇一一年度からの補助金百万円打ち切りを告げられ思わず机をたたいた。

理由は前年十一月の北朝鮮による韓国・延坪島(ヨンピョンド)砲撃への「県民感情」。怒りの後は不安に襲われた。「震災を機に朝鮮学校をなくそうと思っているのか」。最大震度6強に見舞われた仙台市。山の中にある同校も築四十年の校舎が全壊した。

半年後には「在日特権を許さない市民の会宮城支部」や「北朝鮮に拉致されたすべての人を救う会宮城」などが、仙台市からの約百万円の補助打ち切りを求めて監査請求した。請求は棄却されたが、補助は一三年度打ち切られた。

「三陸沿岸部は悲惨な状況。大変な中、朝鮮学校は地震で壊れたのを国の金で撤去した。拉致問題を起こした総連が関わる学校に、なぜ私たちが税金を出す必要があるのか」。救う会会長の安藤哲夫(67)は監査請求の理由をそう説明する。

「絆」という言葉がさかんに使われた震災後の過酷な現実。拉致問題が表面化した〇二年以降、高校無償化からの排除など「これまでにない厳しい時期」と感じていた尹にとっても、二重三重の打撃だった。

「不安や困難に追い詰められた被災地で普段、社会の根底に覆われていたものが噴き出した。やさしさもいたわりももちろん出てきたけれど、無意識のうちに抱え込んできた差別も出てきた」。震災直後、被災地を回った在日コリアン三世の人材コンサルタント辛淑玉(シンスゴ)(55)はそう感じる。

宮城県の避難所で、自分が韓国人であり、外国籍の女性たちを支援に来たことを説明すると「韓国は日の丸焼いてるだろ」と、目の前の男性に罵倒された。「韓国人や中国人が自衛隊員や警察官を殺している」などの風説もささやかれていた。

敗戦直後の在日差別について研究する在日三世の李杏理(リヘンリ)(27)=一橋大大学院=も震災時、仙台と福島の朝鮮学校を支援した。「ヘイトスピーチ(差別扇動表現)は今に始まったことではなく、ほぼ同じ内容のことを敗戦直後から為政者が話していた」というのが持説だが、3・11後の空気の変化も感じている。「震災以前の安定した生活の中にかりそめにもあった社会的寛容が、崩れたように思う」

仙台の東北朝鮮学校は今も校舎再建のめどが立たず、寄宿舎を教室として使う。だが、震災の時、炊き出しなどで支え合ったことをきっかけに、近くの八木山小学校の児童とクラブ活動などでの交流が始まった。同小教頭の門間(もんま)和彦は「震災の時は地域が一体となり助け合った。子ども同士が交流を続けていくのは自然なこと」と話す。現校長の玄唯哲(ヒョンユチョル)(42)も「草の根の交流で、子どもたちが日本社会に溶け込んでいってほしい」との望みは捨ててはいない。 

(敬称略、小林由比)



<朝鮮学校> 
第2次世界大戦後、日本の植民地下で日本に暮らしていた朝鮮人らが設置。現在全国に71校あり、幼稚園児から高校生まで約7000人が通う。学校教育法では自動車学校などと同じ「各種学校」として都道府県の認可を受けており、国からの補助はない。大阪高裁は7月、2009、10年の京都の朝鮮学校へのヘイトスピーチをめぐる訴訟で「民族教育を軸に据えた学校教育を実施する場として社会的評価が形成されている」との判断を示した。

ソース:東京新聞 2014年8月9日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014080902000122.html

救う会宮城の安藤哲夫会長(右)、監査請求書(上)、校舎の跡地に立つ東北朝鮮初中級学校の玄唯哲校長(左)=コラージュ
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