(イメージです。)
 
1名無しさん@涙目です。2018/05/10(木)15:10:10.74ID:J46CMjSi0.netPLT(13145)

マレーシアの総選挙で、92歳のマハティール元首相が率いる野党連合が勝利し、初の政権交代が
実現した。

開票結果によると、マハティール氏が率いる野党連合は、単独過半数の113議席を獲得し勝利した。

マハティール氏は、10日にも首相就任の宣誓式に臨む予定で、巨額の資金流用疑惑を抱えるナジブ首相の処遇については、「われわれは、仕返しはしない。われわれが求めるのは、法の支配の回復だ」と述べた。

マハティール氏は5月、FNNの取材に対し、過度に中国に依存しているとナジブ政権を批判していて、今後、対中政策にも変化が出る可能性がある。
 
 

マハティール・ビン・モハマド(Mahathir bin Mohamad、1925年7月10日/12月20日 - )

マレーシアの政治家、医師。マレーシア第4代首相。マレーシアの首相の中では最長の22年間を務めた。
開業医から政治家に転じ、欧米諸国ではなく、日本の経済成長を見習おうというルックイースト政策をはじめ、長期に及ぶ強力なリーダーシップにより、マレーシアの国力を飛躍的に増大させた。
 
第六次マハティール政権 (1999-2003) と退任
(省略)
2002年3月に、貿易通貨として金貨ディナール(gold dinar)を使用することを提唱。その後、マレーシア経済が回復基調となると、再び政治的に安定を迎え、2003年10月31日、22年間務めた首相の地位から退いた。同年、サイドシラジュディン国王から、最高位勲章「SMN勲章」及び「トゥン」(Tun) の称号を下賜された。(省略)

UMNO離党 と新党結成
2016年2月、UMNOを離党。2016年8月、マレーシア統一プリブミ党 (PPBM) を新党として結成する[17]。2016年12月、PPBMは、人民正義党、民主行動党、国民信任党の3党が結成している野党連合のパカタン・ハラパンと選挙協力の覚書を交わす[18]。

2017年7月、野党連合のパカタン・ハラパンの議長になる[19]。2017年12月、第14回総選挙への出馬を表明し[20]、2018年1月にはパカタン・ハラパンがマハティールを首相候補として次の総選挙に臨むことを決めた[21]。

2018年5月9日に第14回総選挙(英語版)が投開票され、野党連合が過半数を獲得しマハティールが勝利宣言。建国以来初の政権交代が実現する運びとなった[22]。
 
日本について
(省略)
息子や娘を日本の大学に留学させたり日本に関する著書を出したり、あるいは政治の舞台から離れた現在では日本人と共同でベーカリーを経営するなど熱烈な親日家である。

太平洋戦争の評価についても、「もしも過去のことを問題にするなら、マレーシアはイギリスやオランダやポルトガルと話をすることが出来ない。…我々は彼らと戦争をしたことがあるからだ。勿論、そういう出来事が過去にあったことを忘れたわけではないが、今は現在に基づいて関係を築いていくべきだ。マレーシアは、日本に謝罪を求めたりはしない。謝罪するよりも、もっと社会と市場を開放してもらいたいのだ。」と発言している。

日本の外交政策について「日本は、いつまでアメリカの言いなりになり続けるのか。なぜ欧米の価値観に振り回され、古きよき心と習慣を捨ててしまうのか。一体、いつまで謝罪外交を続けるのか。そして、若者は何を目指せばいいのか。日本人には、先人の勤勉な血が流れている。自信を取り戻し、アジアのため世界のためにリーダーシップを発揮してほしい」と述べた。
(省略)