1: 蚯蚓φ ★ 2017/12/31 12:39:20.01 ID:CAP_USER.net
 日本の広島の原爆被害者のうち、「近距離被爆生存者」と呼ばれる人たちがいる。爆心地から500メートル以内で生き残った人たちのことだ。当時そこにいた2万1000人のうち1年以上生存した人は10%に満たなかったと推定される。ある日本人医師が27年後、生存者78人を探し出し、それから40年にわたり彼らの一生を追跡した。2014年時点で生存している近距離被爆者は12人。母の胸に抱かれていた生後5カ月の女児は69歳になった。97歳という高齢の人もいる。天寿に近づいたとも言える。

 彼らが被爆したのは、銀行、保険会社、学校など鉄筋コンクリート造りの建物だった。他の幸運も重なっただろうが、熱線と放射線を致死量以下まで遮ってくれた建物の材質が最も重要だ。走っていた電車の中で生き残った少女もいる。満員電車で1人だけ生き残ったのだ。他の犠牲者が少女の上に折り重なり、原爆の熱線を直接受けなかったからだ。

 広島の奇跡は多くのことを物語る。警報が鳴り響いた際、コンクリートの建物の内部や地下に飛び込んだ人の運命は地上をさまよっていた人とは異なってくる。もちろん全員が生き残れるわけではない。生存確率がはるかに上昇するという意味だ。現在韓国は空襲警報後の余裕が最長で5分だ。それを逃したとしても、最後の瞬間に両親が子供に覆い被されば子どもの命を助けることができる。韓国人の精神文化ではおそらく多くの両親が悲劇の瞬間にその方法を選ぶはずだ。

 核兵器が爆発すれば、どうせみんな死ぬのだから、訓練に何の意味があるのかとも言われている。しかし、日本は訓練に意味があることを教えてくれる。広島の近距離生存者2人は爆心地から260メートルの地点で生き残った。銀行の建物だった。長崎では100メートルの距離で少女が生き残った。地下の防空壕(ごう)だった。爆心地から遠ざかるほど生存確率が急上昇する。ある地点が瞬間的な行動によって生死が分かれる境界線となる。奇跡ではなく確率で示せることだ。北朝鮮の核兵器が強ければ強いほど境界線も爆心地から遠くなる。しかし、どこか境界線は存在する。生死を決定づけるのは無条件で働く反射神経だ。この反射神経は自然には鍛えられない。訓練しかないのだ。

 ところが、韓国では「訓練しよう」というと、「不安を助長する」と攻撃を受ける。4カ月前の民間防衛訓練(民防衛)に合わせ、「今回はしっかりやろう」という趣旨の特集記事を掲載した。インターネットでは「扇動だ」という反応が多かった。ネットユーザーの反応だからそうなのだとも思った。しかし、行政安全部(省に相当)の長官までもが先ごろ、そんな発言をした。北朝鮮の核攻撃に備える訓練について、「政府が危険を助長しているという誤解と不安感を生みかねない」と述べたのだ。国民の安全に責任を負う長官の発言だ。五輪を控えているだけに深刻なことだ。北朝鮮の核の脅威に備えようと言うと、五輪妨害勢力扱いされる。

 壬辰倭乱(文禄・慶長の役)を記録した「懲毖録」には「開寧の人々」の話が登場する。倭軍(日本軍)を防ぐために前線に下ってきた将軍に対し、開寧の住民が「倭軍が近くまで来た」と告げる。庶民が果たすことができる最大限の忠誠だった。ところが、将軍はそれをほめるどころか、「世を惑わせた」として、その住民の首をはねようとした。すると、その住民は「どうか朝まで待ってほしい」と絶叫した。やがて夜が明けても倭軍は現れず、結局住民は首をはねられた。その直後に倭軍が襲来した。多くの住民がいち早く倭軍を目撃したが、それを将軍には知らせなかった。斬首が怖かったのだ。かくして朝鮮軍は全滅した。その際、よろいを脱ぎ、山に逃げた人物がいた。将軍だった。今北朝鮮の脅威について触れる人間は「開寧の人々」のような扱いだ。長官が言う「不安助長」と朝鮮軍の将軍が言った「世を惑わす」という言葉に違いはあろうか。朝鮮時代ならば記者の首も飛んだはずだ。
 
>>2-5のあたりに続く

鮮于鉦(ソンウ・ジョン)社会部長


朝鮮日報/朝鮮日報日本語版【コラム】北朝鮮の核脅威、国民だって生き延びたい
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/12/29/2017122900984.html