1: ねこ名無し ★@\(^o^)/ 2017/08/15 11:02:13.85 ID:CAP_USER.net


旧韓末に平民出身義兵長として抗日武装闘争の先頭に立った申乭石(シン・ドルソク)将軍(1878~1908)が、海軍の9番目の1800トン級(214級)潜水艦の名前で復活した。

海軍は、「光復(日本植民地支配からの独立)72周年を迎えて、申将軍の愛国心を称えるため、9番目の1800トン級の潜水艦艦名を申乭石艦に命名した」と14日明らかにした。

1800トン級潜水艦の建造事業は、韓国軍が来年末まで計9隻を実戦配備する事業であり、6番目の潜水艦である柳寛順(ユ・グァンスン)艦が先月、海軍に引き渡された。申乭石艦は1800トン級の最後の潜水艦であり、来年末に海軍に引き渡される予定である。

申乭石艦は長さ65.3メートル、幅6.3メートル、最大時速37キロで、魚雷や機雷をはじめ、北朝鮮の核施設などを長距離で精密打撃できる国産潜対地巡航ミサイルが搭載されるという。

1878年に慶尚北道盈徳(キョンサンブクド・ヨンドク) で生まれた申将軍は1896年、故郷を基盤に義兵100人を率いて抗日運動を繰り広げた。1905年の乙巳条約締結後は300人余りを指揮して、日本の軍艦9隻を撃沈させたこともある。

以後、江原道(カンウォンド)まで活動範囲を広げて「太白山(テベクサン)の虎」と呼ばれながら大活躍したが、日本軍に買収された部下によって1908年に毒殺された。

海軍は、1800トン級潜水艦のうち、2007年に実戦配備された1番艦の艦名を海軍参謀総長「孫元一(ソン・ウォンイル)」提督をたたえて「孫元一艦」に制定した。

2番艦は、高麗時代に水軍を創設して倭寇を撃退した鄭地(チョン・ジ)将軍の名前を取って「鄭地艦」に、3~8番艦は安重根(アン・ジュングン)艦、金佐鎮(キム・ザジン)艦、尹奉吉(ユン・ボンギル)艦、柳寛順艦、洪範図(ホン・ボムド)艦、李範奭(イ・ボムソク)艦など、抗日独立運動家の名前を制定した。

孫孝珠

http://japanese.donga.com/List/3/all/27/1027399/1
 
=管理人補足=
KBS WORLD Radio
http://world.kbs.co.kr/japanese/archive/program/program_koreanstory.htm?lang=j&No=22398&current_page=8
 
申乭石  2010-12-10
 
国が日本に侵略されようとしていた朝鮮末期、義兵と言う名の民兵が立ち上がりました。
そしてその中には、平民という身分にもかかわらず義兵の長として多くの人々のリーダーとなった申乭石(シン・ドルソク)がいたのです。

申乭石は1878年11月3日、現在の慶尚北道(キョンサンブクド)盈德(ヨンドク)に生まれます。
(中略)

彼が歴史の表面に浮上するのは1906年のことでした。
すでに1904年に韓日議定書が結ばれ、国土は日本の軍事基地化していました。
そして1905年には外交権の剥奪と朝鮮総督府の設置を柱とする乙巳条約(第2次日韓協約、日韓保護条約)が結ばれています。

これに怒った申乭石は仲間とともに農民300人を集めて義兵を立ち上げます。
当時の義兵は両班や儒生などが主流を占めていましたが、彼は両班からもその指導力を認められ、寧陵義兵長となり抗戦を始めます。
また彼の父は土地や家を処分し、武器や軍糧を整え彼の義兵活動を支援します。
申乭石は太白山脈を中心に、日本軍の駐屯地、日本人の集団居住地、日本が朝鮮から略奪した農産物を運ぶ船舶などを目標に攻撃を加えました。
日本軍は新式の武器を使い義兵を捕らえようとしましたが、義兵たちは山脈地帯という地形を利用し、ゲリラ攻撃を続けました。
この当時、申乭石のことを人々は「太白山の虎」と呼んだものでした。
そして平民出身の申乭石の活躍は、一般の農民の抗日民族意識を高揚させていきます。
しかし1908年、彼は日本軍が彼にかけた賞金に目のくらんだ部下の裏切りにより殺害されてしまいます。30歳でした。