台湾 

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:2014/05/31(土) 11:21:54.28 ID:
ソース(Voice6月号、李登輝氏・元台湾総統)
http://shuchi.php.co.jp/article/1938
http://shuchi.php.co.jp/article/1939

■はじめに

 台湾の学生が立法院を占拠するという出来事が起こってから、1カ月余りが経った。台湾の将来を担う学生が警察に殴打される映像をみたとき、私の心は激しく痛んだ。これらの問題に対し、私の立場は一貫している。指導者は引き続き彼らの声に耳を傾け、人民の苦しみを理解すると同時に、具体的かつ誠意をもって解決の道を探るべきである。

 本稿は、台湾の学生が立法院を占拠する前に編集部の求めに応じてまとめたものである。そのため、現在台湾で起こっている問題について、直接答えたものではない。しかし、台湾にどんな問題が起ころうとも、「日台は生命(運命)共同体」「日台の絆は永遠のもの」という私の主張に変わりはない。失われた部分も多いとはいえ、日本社会はまだまだ社会的規範を維持している。東日本大震災の際の節度ある行動は、記憶に新しい。台湾にとって日本は、依然として偉大な兄なのである。

写真:靖国神社の神門。台湾檜でつくられている
http://shuchi.php.co.jp/userfiles/images/a_image7/yasukuni_mon.JPG

■映画『KANO』のこと

 3時間5分の上映時間のあと、私は泣いていた。隣には長年連れ添った妻がいた。映画『KANO』のことである(2015年・日本公開予定)。KANOこと嘉農は正式名称を嘉義農林学校といい、1931年、台湾代表として甲子園に初出場、準優勝を果たす。映画はこの史実を基にしている。当初は弱小だったチームを生まれ変わらせたのが近藤平太郎監督である。映画では日本の俳優、永瀬正敏さんが演じていた。日本人、本島人(台湾人)、そして原住民からなるチームを一つにまとめ上げた近藤監督は、指導者として立派な人物であると思う。

 台湾人が好んで用いる言葉に、「日本精神(リップンチェンシン)」というものがある。これは日本統治時代に台湾人が学び、日本の敗戦によって大陸から来た中国人が持ち合わせていない精神として、台湾人が自らの誇りとしたものである。「勇気」「誠実」「勤勉」「奉公」「自己犠牲」「責任感」「遵法」「清潔」といった精神を表す。『KANO』をみて、私はあらためて妻と「日本の教育は素晴らしかったね」と語り合った。『KANO』のおかげで、かつての自分や家族のことにしばし思いを馳せることができたのである。

『KANO』は台湾で大ヒットしているが、「日本の植民地時代を美化しすぎている」という批判も起きた。しかし、台湾が中国に呑み込まれようとしている現在、台湾人が顧みるべきは、この映画で描かれているような「日本精神」である。この「日本精神」に触れることを通して、台湾人は中華思想の呪縛からあらためて脱し、「公」と「私」を区別する武士道的な倫理に基づいた民主社会を確立しなければならない。だから私は映画館を出たあと、記者たちにいったのだ。

 「台湾人はこの映画をみるべきだ!」

■「なぜ台湾をお捨てになったのですか」

 映画に登場する嘉農高校の遊撃手(ショート)の陳耕元氏(日本名:上松耕一)は実在の人物で、台湾原住民のプユマ族の出身である。1993年、作家の司馬遼太郎さんが台湾を訪れた当時、総統を務めていた私の紹介によって、司馬さんは陳耕元選手の次男、健年氏に会っている。陳健年氏はのちに台東の県長(知事)を務めた人物である。

 司馬さんは、この陳健年氏の家族と会食の機会をもった。陳耕元選手の夫人で、健年氏の母にあたる蔡昭昭さんも一緒である。司馬さんの『街道をゆく 台湾紀行』「千金の小姐」によれば「1921年生まれ」とあるから、彼女は現在91歳の私より2歳年上ということになる。司馬さんと会ったとき、すでに70歳を超えていた。

 宴が終わるころ、司馬さんは彼女から二度も「日本はなぜ台湾をお捨てになったのですか」と問われ、答えに窮してしまう。「たずねている気分が、倫理観であることは想像できた」と司馬さんはお書きになっている。

>>2以降に続く)