1: 蚯蚓φ ★@\(^o^)/ ID:???
国内で初めて日本の蛮行を知らせた慰安婦生存者は故金学順(キム・ハクスン)ハルモニだ。キムさんは光復46周年を一日前にした1991年8月14日、慰安婦問題の実状を生存者として証言した。

それ以前にも韓日両国で慰安婦問題が全く知られなかったわけではないが、日本の謝罪を要求する声につながらなかった。ユン・ジョンオク教授がハンギョレに「挺身隊取材文」を連載して韓国の女性運動が挺身隊対策協を結成後、キム・ハクスン、ハルモニをはじめとする被害者が出てきて慰安婦問題解決のための世界的な動きが始まった。

就労事業に行って偶然に知った原爆被害者ハルモニ(イ・メンヒ氏)から「挺対協に一度行ってみて」という言葉を聞いたのが告白の契機であった。「私も日本にくやしいことが多く、私の人生があまりにもうらめしく、なんでも話たかったので私が軍隊慰安婦だったという事実を話した」という。(<強制的に連行された朝鮮人軍隊慰安婦たち1巻>)。


▲米軍164通信写真中隊が1944年8月14日に撮影したビルマ・ミチナの日本軍慰安婦写真。左側の4人はアジア系米軍などで右側では朝鮮人慰安婦。写真出処=挺隊協

記者会見でキム氏は「されたことだけでも悔しいのに、日本の人々が「挺身隊」という事実自体がなかったと言い逃れることに、非常にあきれて証言することにした」とした。(京郷新聞1991.12.7.「挺身隊キム・ハクスン、ハルモニ会見」)その1年余り前の1990年6月、日本参議院で当時の労動省局長が「日本軍慰安婦は日本軍とは関係がない民間会社の活動であったし、調査自体も不可能だ」と答えたことについてキムさんは怒った。

日本の敗戦後70年余り、日本は相変らず「軍による強制連行はなかった」と強弁している。しかし、キム・ハクスン、ハルモニを引っ張っていったのも他でもない日本軍だった。当時、彼女の年齢は17才だった。1941年、キム・ハクスンは親しい姉とともに中国北京にわけも分からないうちに日本軍人に引きずられて行った。母親が買ってくれた黄色いセーターを着たままだった。
(中略:キムハルモニの証言とムン・オクチュルハルモニの証言)

「戦争と女性への暴力」リサーチアクションセンター(VAWWRAC)」のニシノ・ルミコは朝鮮人慰安婦被害者証言52件を分析して慰安婦の連行がどの様な方式でなされたかを調べた。すなわち詐欺・甘言(病院、工場などでの仕事とだますなどの)による連行が33人(63.5%)、拉致・誘拐が11人(21.2%)、人身売買が8人(15.4%)であった。(被害者証言で見た日本軍「慰安婦「連行の強制性、<彼らはなぜ日本軍「慰安婦」を攻撃するのか>)

また、これら大多数が20才未満の未成年者であったという点だ。ニシノ・ルミコの分析では慰安婦被害者証言の86.5%が未成年連行だった。ユン・ジョンオク教授が保健社会部に申告された56件を分析したところによれば、全体の80%が未成年(12~19才)で、12%だけが20才以上だった。残りは正確な年齢を記憶できない場合であった。(「朝鮮植民政策」の一環として日本軍「慰安婦」、<日本軍慰安婦問題の真相>、歴史批評社)

去る2015年末、韓日政府が「慰安婦合意」を押し切った直後、米国デラウェア大マーガレットD.ステッツ教授はニューヨークタイムズに読者意見形式の文を載せて大きな反響を呼んだ。彼女は「生存者らが証言するように、このような残忍な性奴隷システムの多くの対象らは「成人女性(women)」ではなく、初潮前の「13才あるいは14才の少女ら(girls)」だった」として「彼女らはほぼ毎日、強姦に捧げられるために荷物のようにアジアを横切る戦線に乗せられていった」とした。

多くの人々が誤解するように日本の「慰安婦」動員と犯罪は成人女性を対象にしたものではなく「戦争犯罪だけでなく児童人身売買であり児童を対象にした性/犯罪であった」ということだ。

ムン・ヒョング記者

ソース:メディアトゥデイ(韓国語) 「獲物は13才、14才の少女らだった」
http://www.mediatoday.co.kr/?mod=news&act=articleView&idxno=136902