1:2017/03/13(月) 14:07:24.80 ID:

▲1919年3月13日、間島龍井の万歳運動で犠牲になった生徒の墓『三・一三反日義士陵』

[新韓国文化新聞]
 
「龍井(ヨンジョン)3・13万歳運動の先頭に立った若い学生たちが無惨に日帝の犠牲になって埋められた墓を訪れた時の哀しみを忘れることができません。まだ若い学生たちが祖国を取り戻すための万歳運動に参加した罪で日帝の銃刀により血を流して死んでいく姿を見た両親の心情はどうして筆舌でつくせるでしょうか?」2014年9月、間島(カンド)地域の女性独立活動家遺跡を現地調査したイ・ユンオク詩人は<龍井三・一三反日義士陵>に参拝した心境をこのように話しました。


今日、3月13日は北間島龍井で独立万歳運動が起きた日です。「3月13日、普通学校倭奴(ウェノム)校長が反日群衆大会を挙行するというニュースを察知し、全校学生を教室内に閉じ込め出て行かないようにした。しかし天地に轟く「朝鮮独立万歳(マンセー)!」のスローガンを聞くやいなや、学生たちはあたかも約束でもしていたかのように腕を振り回して「マンセー」を叫びながらガラス窓を壊して飛び出し通りに走って行ってデモ行列に参加した。

この光景を見た倭奴校長は我知らず「10年の教育が一日で水泡に帰したな。」となげいた。「これは<独立新聞>1920年1月1日の記事です。1919年3月1日、大々的な故国の3・1万歳運動のニュースが伝えられるとすぐに3月13日、龍井を中心に火のような万歳運動が起きました。

3月13日に起きた間島地域の万歳運動で孔徳洽、朴尚鎭など多数の同胞が犠牲になるとすぐに3月17日、龍井の各界の人々は義士会を組織し、3千人余りの愛国青年たちと同胞らは龍井に集結して犠牲になった烈士らの死体を持って街頭行進をしながら追悼し、日帝の弾圧に抵抗しました。

間島地域の3・13抗日万歳運動は独立運動史に輝く鳳梧洞(ポムオドン)、青山里(チョサンリ)戦闘につながる導火線になった独立運動であったことを記憶しなければならないでしょう。

キム・ヨンジョ記者

ソース:新韓国文化新聞(韓国語) 間島(カンド)ヨンジョンの3・13ハンイルンドンをどうして忘れるだろうか!
http://www.koya-culture.com/news/article.html?no=107269
 
=管理人補足=
龍井三・一三運動(りゅうせいさんいちさんうんどう、簡体字:龙井3·13运动、朝鮮語:룡정3·13운동);
1919年3月13日、三・一運動の影響を受け、多くの朝鮮人が暮らす龍井村(現・延辺朝鮮族自治州竜井市)で起こった反日デモ集会である。龍井事件とも呼ばれた。
 
概要 
参加者は2万~3万人ともいわれる。集会代表をつとめた牧師の金永学(김영학)が「独立宣言」を朗読。集会の結束後、「朝鮮独立万歳」の標語を掲げ、間島日本総領事館へ向かってデモ行進する。[1]
鎮圧にあたった軍閥・孟富徳の部隊がデモ隊に向かって発砲し17人が死亡、48人が負傷、94人が逮捕された。
3月17日、龍井の合成利合同墓地(합성리공동묘지)で犠牲者を埋葬、義士陵(14人の遺体を埋葬、他3人の遺体は遺族が持ち帰り別の場所に埋葬)を築く。
三・一運動と三・一三運動の影響を受け、3月13日から4月末までに延辺各地で74回にわたる反日運動やデモが繰り広げられ、参加人数は8万6670人に達した。[2]
 
記念作業
「独立万歳」を叫び犠牲となったことから、義士陵は地元で「万歳陵墓」と呼ばれていたが、後に荒廃し、正確な場所がわからなくなっていた。だが、延辺と韓国との交流が盛んになる中で再び注目され、「龍井市重点文物保護単位」にも指定、延辺州政府は2001年、「三・一三運動」を抗日独立運動と公式に認定した。
 
wiki:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BE%8D%E4%BA%95%E4%B8%89%E3%83%BB%E4%B8%80%E4%B8%89%E9%81%8B%E5%8B%95