244133[1]
(イメージです。)
1:2017/01/15(日) 08:15:03.98 ID:
韓国工芸芸術家協会会長「朝鮮が日本へ螺鈿の技術を教えた」
「伝統工芸業界の大夫」「工芸家の請願室長」「職人たちの解決士」

 韓国工芸芸術家協会の李七竜(イ・チルヨン)会長(71)=写真=には、こんな別名がついて回る。その李会長が、これまでブログに載せた文章や新聞への寄稿記事などを整理し、『李七竜の工芸日記』という本を出版した。李会長は「工芸界の問題や韓国政府の政策をいくら指摘しても問題が改まらないので、記録として残しておこうという考えを持つようになった」と語った。

 同書は、韓国伝統工芸の現場で起こっていることに対する告発と苦言がほとんどを占める。「職人たちの作業現場へ実査に来た一部の教授や文化財委員のせりふがひどい。『検定考試(高校卒業程度認定試験に相当)上がり』『嫁には行ったか』というように。こんなぞんざいな発言こそ、甲チル(優越的な地位を利用した無理強い)の横暴ではないのか」。

 韓国の政府機関が発行する書籍や記録の誤りも指摘した。李会長は「植民地時代に韓国の職人が日本へ渡って螺鈿(らでん)の技術を伝えたのに、逆に『日本から学んできた』と誤って記述している点が特に問題」と記した。本書の序文には、こんな記述が登場する。「日本の『フジヤマ大百科事典』(原文ママ)には『韓国の螺鈿漆器職人・全成圭(チョン・ソンギュ)は、宋周安(ソン・ジュアン)、金奉竜(キム・ボンリョン)と共に日本へ渡り、螺鈿の技術を教えた。朝鮮の一流技術者を迎えたことで、こんにち高岡市の螺鈿漆器には韓国の螺鈿漆器の影響がはっきりと表れている』と記されている。なのに、国立文化財研究所が2009年に出した『韓国近現代螺鈿図案』には『宋周安は高岡へ研究生として赴き、8年間技術を学んで帰国した』とあべこべに記録している」

 1970年に螺鈿漆器へ入門した李会長はハンミ工芸社を設立、70年代から80年代にかけて螺鈿漆器の製品を日本へ輸出して巨額の利益を得た。96年に不渡りを出して会社を畳んだ後、工芸運動家へと転身した。李会長は「伝統工芸は工房で作業する職人によって伝承・伝授されるというのに、職人を冷遇する風土が残念」と語った。

許允僖(ホ・ユンヒ)記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/01/13/2017011301579.html
 
=管理人補足=
螺鈿(らでん)は、主に漆器や帯などの伝統工芸に用いられる装飾技法のひとつ。貝殻の内側、虹色光沢を持った真珠層の部分を切り出した板状の素材を、漆地や木地の彫刻された表面にはめ込む手法、およびこの手法を用いて製作された工芸品のこと。螺は貝、鈿はちりばめることを意味する。

使用される貝は、ヤコウガイ(夜光貝)、シロチョウガイ(白蝶貝)、クロチョウガイ(黒蝶貝)、カワシンジュガイ(青貝)、アワビ、アコヤガイなどが使われる。はめ込んだ後の貝片に更に彫刻を施す場合もある。
 
wiki:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9E%BA%E9%88%BF