1:2017/01/15(日) 00:26:29.31 ID:
謝罪は真心を込めてこそ正しくしたことになる。ムン・ジェイン共に民主党代表が2015年、韓日慰安婦合意について11日「日本から公式謝罪さえ受けられなかった」と批判した根拠も真心がこもっていない謝罪というものだった。彼はそのような合意は無効と断言した。

真心をこめた謝罪はそうでない謝罪よりましではある。個人同士、いいかげんな謝罪はしない方がよい時も多い。しかし、国家間の謝罪に真心というのは必要なのか。歴史的に国家間謝罪は正しい正しくないという次元を越える時が多かった。三田渡に行った朝鮮の仁祖は何を間違って清の太宗に頭を下げたのか。それは小さな国が大きな国の気持ちを損ねたのが理由であった。清の太宗も武力を前面に出して謝罪を要求して貫徹しただけ、仁祖の真心などにはなんの関心もなかった。

日本が私たちと慰安婦合意をしながら「謝罪と反省の心を表明する」としたのも慰安婦関連でこれまでの様々な妄言から判断する時、真心なのか疑わしい。韓・米・日共助復元を狙う米国が割り込んで葛藤を解消するよう言ったのでそうしたのだ。それなら初めから韓日関係正常化という戦略的考慮の下、謝って合意したものを真心を問い詰めれば外交を倫理と混同した格好になる。

謝罪にケチな日本を非難する時、私たちはドイツを例にあげる。「ドイツは暇さえあればナチ蛮行をひざまずいて謝るのにお前らは何か」と詰問する。そのようなドイツが実は相手を見て謝罪したことを知っているだろうか。1970年12月7日、ウィリー・ブラント総理はワルシャワのユダヤ人慰霊碑前にひざまずいたが、過去の植民地ナミビアにはそのようにしなかった。

ドイツはその国で1904年から4年余りの間、7万5000人余りを虐殺し、100年を超えて謝罪どころか虐殺事実さえ認めていなかったが昨年はじめて謝った。ポーランドのように無視するのが難しい被害国とは共同歴史教科書を作って両国の未来世代を教えようとまでしながらアフリカの小さい国には他の定規を適用した。今月5日、ナミビア部族長から米国マンハッタン地方法院に損害賠償請求訴訟まで起こされた。だからナミビアの前で「ドイツを見習え」と言えば嘲笑を受けるだけだろう。

国家間謝罪というのは本来そんなものだ。必要ならばして必要でなければ当然謝るべきことも無視してしまう。私たちが満足するレベルの謝罪を受けるには、相手がそのようなレベルの謝罪をする必要を感じさせなければならない。そのような能力がないなら臥薪嘗胆の覚悟を固めて大胆にならなければならない。

昨年5月、オバマ米国大統領を国賓で迎えた日本とベトナムがそうした。日本は核爆弾二発で子供、老人、女性の関係なく22万人が抹殺されても広島にオバマを立たせるために内閣・メディア・国民がみな立ち上がって「謝罪は必要ないから来なさい」とした。ベトナムも中国が南シナ海領有権野心を表わすとすぐきっぱりと米国の方に立った。枯れ葉剤死亡者など戦時被害について米国に公式謝罪を要求する問題を取りあげることもなかった。

私たちにも戦略的マインドで武装して推進する目標がある。北核を解体して大韓民国を守り、統一を成し遂げるために小さな怒りと失望に耐えなければならない。後日、その目標を成し遂げた我が国に日本の接し方は異なるようになるだろう。

キム・テフン世論読者部長


ソース:朝鮮日報(韓国語) [太平路]血の涙は内心流すことだ
http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2017/01/13/2017011302742.html

関連スレ:【慰安婦問題】 朴元淳ソウル市長、釜山少女像訪問「日本、ドイツがしたようにすべての犯罪に対し徹底的に謝罪すべき」[01/13]
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1484404595/