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▲日王に手榴弾を投げる李奉昌(イ・ボンチャン)義士の銅像
 
8917891e.jpg▲第85週年李奉昌(イ・ボンチャン)義士義挙記念式で参席者が献花している(別ソース:中都日報)

『私は赤誠で祖国の独立と自由を回復する為、韓人愛国団の一員となって敵国の首魁を屠戮することを盟誓する』<大韓民国十三年十二月十三日宣誓人韓李奉昌韓人愛国団前>

李奉昌(イ・ボンチャン)義士が日王を爆弾で暗殺しようとした挙事直前に誓った自筆書の内容だ。今日(1.8)は日帝強制占領下、日本帝国主義心臓部の東京で侵略の元凶日王ヒロヒトに爆弾を投擲し日本はもちろん中国と全世界に韓民族の自尊と独立の意志を天下に知らせたイ・ボンチャン義士((1901.8.10~1932.10.10)が義挙を決行して85周年になる日だ。

1932年1月8日当時、三十一才の愛国青年イ・ボンチャンは日本の代々木練兵場に立っていた。日帝の激しい銃刀の前に無惨に踏みにじられて倒れた祖国朝鮮の悲惨さを日王除去によって朝鮮の境遇を世界万国に知らせ独立を操り上げるためだった。しかし、彼の夢は挫折し青年イ・ボンチャンは刑場のつゆと消えた。

1月8日はイ・ボンチャン義士がヒロヒト日王に爆弾を投げた独立義挙の日であり世界に朝鮮青年の気概を知らしめた日でもある。1920年代当時、朝鮮は1919年3・1独立万歳以後、日本の朝鮮総督府がそれまでの残酷な武断統治から文化統治に切り替えながら朝鮮人に対する懐柔政策を基盤に私たち民族を社会文化的基盤として吸収しながら進み日本人化させるための活動が展開した時期だ。

いわゆる朝鮮人の日本皇国臣民化であった。親日民族化試みである。同時にこの時期は独立運動が国・内外で活発に繰り広げられた時期でもあった。
 
(中略:独立運動史及び李奉昌の行動)

イ・ヒョノ/コナス編集長.随筆家

ソース:コナスネット(韓国語) 対韓青年イ・ボンチャン、日帝心臓に爆弾を降り注いだ日
http://www.konas.net/article/article.asp?idx=47668

関連スレ:【韓国】 今日はキム・ジソプ義士が日王の住む皇居二重橋に手榴弾を投げた日です[01/05]
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1483591468/
 
=管理人補足=
李 奉昌(日本語読み;り ほうしょう、朝鮮語読み;イ・ポンチャン、1900年(光武4年)8月10日 - 1932年(昭和7年)10月10日);

金九の命を受けて昭和天皇の暗殺を試みて桜田門事件を起こしたテロリストである。襲撃は失敗したが、大逆罪となって死刑に処された。日本名は木下昌蔵[4]。韓国では独立運動家、義士とされている。

暗殺は完全に失敗であったとは言え、日本では犬養内閣が当日辞表を提出して総辞職を表明したほど衝撃が走り、翌9日に昭和天皇の慰留により撤回されるなど、社会に大きな動揺を与えた。
 
中国では金九の大韓民国臨時政府が上海で活動していたことから、現地新聞が事件を好意的に報道して、日中関係を悪化させ、第一次上海事変の遠因となった。4月にもその上海で尹奉吉のテロ事件が起こったため、朝鮮人の独立運動を力で抑えよという世論が強まった。

wiki:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E5%A5%89%E6%98%8C