a26a7cf153b6729ee62c20c3d08b7054_s1
(イメージです。)
1:2017/01/03(火) 11:44:00.78 ID:
1924年1月3日、キム・ジソプ先生が日本王宮に最も近い橋梁である‘二重橋’で爆弾を投擲した。安東出身であるキム・ジソプ先生は1920年満州に亡命して義烈団で活動する中、朝鮮総督府破壊作戦に失敗すると孑孑単身で爆弾投擲を敢行した。3発の爆弾は全て不発となり、キム・ジソプ先生は日本警察によって逮捕された。日帝の拷問にも屈服しなかったキム・ジソプ先生は1928年44歳で日本の千葉刑務所で殉国した。

2017/01/03
http://www.yeongnam.com/mnews/newsview.do?mode=newsView&newskey=20170103.010080723470001
※要韓国串

【韓国】 20日は祖国独立解放に生涯捧げたキム・ジソプ義士殉国日~日王宮への爆弾投擲義挙は失敗したが、光復をもたらした[02/20]
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1455946900/
【日韓】 義烈団キム・ジソプが爆弾を投げた日本皇居「二重橋」に行ってみた~多くの朝鮮人の涙と恨が渦巻いている場所[04/25]
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1461579134/
 
=管理人補足=
二重橋爆弾事件(にじゅうばしばくだんじけん);
大正13年(1924年)1月5日に日本東京府東京市麹町区(現・東京都千代田区)で発生した爆弾テロ事件。義烈団による犯行で、不敬事件の1つ。

大正13年(1924年)1月5日午後7時15分、宮城外苑(現・皇居前広場)を警邏中の警視庁日比谷警察署の岡本緊英巡査が、二重橋付近で小雨の降る闇の中で佇む男を発見した。「何者か!」と不審尋問[3]をしたところ、男は無言でいきなり手榴弾を投げて逃走した。手榴弾は巡査に当たったものの小さな破裂音がしただけで不発であったため怪我は無かった。男はそのまま二重橋を目指して突進していった。

物音に気付いた皇居正門前の歩哨に立つ近衛兵2名、福井清と河原長次郎一等兵は、即座に銃剣を構えて立ちふさがり、男の侵入を阻止した。行く手を阻まれた男は、歩哨にも爆弾を2つ続けざまに投げつけたが、また2つとも起爆しなかった。このとき追いすがった岡本巡査が後ろから男に飛びつき、歩哨が前から組み付いて、4名の格闘の末に、力尽きた男は逮捕された。男はすぐに日比谷警察署に連行された。 

金は裁判において「(朝鮮独立運動の殉国者となれるからと)死刑か無罪」を主張し、上告も拒否したが、山崎今朝弥弁護士が独自に行い、検察も死刑を求刑したが、この罪状で死刑判決は明らかに過剰であり、裁判所は一・二審とも無期懲役を言い渡し、刑が確定した。金祉燮は「収監するなら朝鮮の刑務所に送ってくれ」と請願したが却下され、最初千葉刑務所に服役した。また密航を手助けした3名も船舶侵入幇助罪で有罪となった。

その後、昭和天皇の即位記念による恩赦で懲役20年に減刑されたが、1928年(昭和3年)2月20日に市ヶ谷刑務所で獄死した。

wiki:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E9%87%8D%E6%A9%8B%E7%88%86%E5%BC%BE%E4%BA%8B%E4%BB%B6_(1924%E5%B9%B4)←写真あります。