1:2016/12/25(日) 23:19:03.45 ID:
 
外食業界はもちろん、最近、大衆文化でも多く接する日帝強制占領期間に使われたソウルの名前「京城」は朝鮮王朝の首都を格下げして特に近代化を推進中だった大韓帝国の痕跡を消すために日帝が付けた名前だ。

ソウル歴史編纂院が出した「ソウル2千年史」によれば、日帝は大韓帝国強制併合後、韓国と韓国人を象徴する大韓のイメージをなくすため努力した。その一つが漢城府(ハンソンブ)が持っていた首都としてのイメージと権威をなくすうことだった。

名称は京城府(キョンソンブ)に変わり、組織の地位は中央部署から京畿道(キョンギド)が管轄する地方行政単位に格下げされた。独立国の首都としての地位が失なわれ、京畿道所属12府の一つになった。500年余り維持してきた首都としての歴史が途絶えて区域と機能も縮小された。

イ・テジン、ソウル大名誉教授は「ソウルに対する専用呼称として京城は1910年8月22~29日の強制併合措置後、9月30日に‘朝鮮総督府地方官管制’発表で漢城府を京城府に直したことから始まり、以後、ソウルは‘京城’、‘ケイジョウ’とありふれた名前で呼ばれた」と説明した。また「1945年光復と共に京城府はソウル市に改称され1946年9月28日に京畿道から分離してソウル特別自由市に昇格した」と付け加えた。

イ教授は「歴史的に京城という呼称が朝鮮中期実録にソウルの都城内を示す意味で少し登場するが、終始、漢城がソウルの漢字表記公式名称だった」として「強制併合後、日帝は東京、京都に続く日帝‘天皇’の植民地朝鮮の首都という意味で京城に変え、これは私たちの16世紀の記録とは無関係」と説明した。

大部分は公式名称、京城が使われたが、韓国人は漢城、漢陽(ハンヤン)、ソウルなどを混用した痕跡が幾つもある。代表的には1919年、ソウルに建ち大韓民国臨時政府に統合される臨時政府の名称が‘漢城’臨時政府であり、映画‘密偵’に登場した義烈団の‘ソウル爆弾搬入事件’に記録された義烈団員、柳子明(リュ・ジャミョン)先生の1983年の手記でも‘爆弾と拳銃は安全に漢城まで到達した’として‘漢城’表現に固執した跡が見られる。

一方、1920年にはモダニズム文化関連雑誌‘ソウル’が創刊されたり、当時、大衆文化の中心人物らがソウルの治安担当者に送った公開嘆願書で有名な‘ソウルにダンスホール許可を’でも‘ソウル’を使った。

キム・イェジン記者

ソース:世界日報(韓国語) [密着取材]京城、日帝が'漢城に'格下げして付けた名前
http://www.segye.com/content/html/2016/12/25/20161225001333.html