1:2016/12/15(木) 14:12:42.43 ID:
(写真)
1481711413_00500009_20161215_99_20161214201513▲ モッスナベ(もつ鍋)

仁川(インチョンシ)松林洞(ソンリムドン)へ行くと鶏の内臓料理屋がずらりと並んでいる。典型的な労働者の食べ物である。肉は高価なため、内臓で動物性の栄養素を摂った過去の遺物である。ソウルのモレネ市場にもタッネジャンタンチプ(鶏内臓湯集=鶏の内臓の汁物屋)があった。流れ者と労働者が生臭くて熱い汁をつまみにマクソズ(安焼酎)を飲んだ。東大門(トンデムン)、往十里(ワンシプリ)、清渓川8街(チョンゲチョン8ガ)中央市場の周辺でも、安価なトェジ・ネジャンポクウム(豚の内臓の炒め物)料理が売られた。牛の内臓は今では高級料理になった。しかし内臓は元々貧しい者たちの食べ物である。

イタリアも同様だ。差別を受けたユダヤ人が、ゲットーに捨てられた牛の内臓でシチューを作って食べた物が郷土料理として残った。フィレンチェとローマでは牛の内臓シチューが代表的なローカルフードになった。日本も同様だ。在日朝鮮人が集まって住む町では、牛や豚の内臓で料理を作った。

大阪の生野地区はまさに『ゲットー』だった。日本の最下層、賎民集団住居地域である『プラク(部落)』と同じ扱いを受けた。自・他意で日本に住む朝鮮人の多くは韓半島(朝鮮半島)が日帝の強占(強制占領)から解放された後も日本に残った。日本を統治した米軍(GHQ=連合軍最高司令部)当局は、朝鮮人の帰国物品の重量と金品の搬出を制限した。財産を捨てて行く事が出来なかった同胞と、帰れない人々が集まって住んだ。日本人でも、かと言って亡びた朝鮮人でもない曖昧な身分の在日同胞は、苦しい生活を余儀なくされた。彼らは牛や豚の内臓を調理して食べ、売ったりもした。日本で現在大流行している『ヤキニク(焼肉)』と『ホルモン(内臓)』料理の元祖がまさに、彼らの悲しい歴史から始まった。今でも生野地区に行けば、露店で内臓を焼いて売っている。

そのような内臓料理の中に、福岡の名物として広く知られる『モッスナベ(もつ鍋)』がある。韓国の観光客がよく向かう専門店には、最初からハングルのメニューがあるほどだ。牛の大腸や小腸をヤンベチュ(キャベツ)やプチュ(ニラ)と一緒にたっぷりと煮込む。醤油やみそを溶いて昆布などで味付けをする。その上にピリ辛の粗めのコチュッガル(唐辛子粉)を振りかける。日本の敗戦後に福岡で誕生した料理らしい。おそらく在日朝鮮人の作った料理ではないだろうか。下関の在日同胞の集団居住地区で、同じようなネジャンジョンゴル(内臓鍋)を売っている。

北九州のある老鋪にモッスナベ(もつ鍋)があった。意外だった。北九州は九州の東端にある工業都市で、庶民的な食べ物が有名である。ところが少し変わっている。うどんを入れたモッスナベ(もつ鍋)だ。24時間営業のうどん屋『スケサン(資さん)』にあるメニュー(写真)だ。北九州市民には『ソルプドゥ(soul food)』を売る食堂として愛されている。工業団地で2交代、3交代をして疲れた労働者が、空腹をうどんで満たす場所である。 モッスナベウドン(もつ鍋うどん)は彼らの格別の愛を受ける。

以下、略

ソース:NAVER/ハンギョレ(韓国語)
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=shm&sid1=103&oid=028&aid=0002345903