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(イメージです。)

 
1:2016/11/28(月) 21:53:45.88 ID:
1960年4月26日。その日は李承晩(イ・スンマン)大統領が「国民が望むならば退く」として自主的に辞任した日だ。4・19革命からちょうど1週間ぶりだった。私は当時幼かった。世の中のことは何もわからなかった時だった。

しかしソウル市内のあちこちで学生が大規模反政府デモをし、政府が彼らを銃で防ごうとして多くの死傷者を出したという新聞報道に、幼心にも何か政府の過ちがあったのではと感じないことはなかった。

自主的に辞任した日の午後、李大統領が景武台(キョンムデ、現在の青瓦台)から梨花荘(イファジャン)に引っ越すといううわさに人々が梨花荘に集まった。私も大人たちに連れられそこに行ってみた。

李大統領が手を振るとすぐに多くの人が歓呼して涙を流した。老大統領の目頭も熱くなったように見えた。現場にいた多くの人たちは、李承晩大統領が国民を愛していなかったならデモ隊に向けた発砲を止めただろうか、また自主的に辞任しただろうかと李大統領の肩を持つようだった。

何よりも李大統領の後悔する姿に人々は憐憫の情を感じるようだった。

李承晩大統領の話を長くしたのは朴槿恵(パク・クネ)大統領のためだ。朴大統領が1日も早く自主的に辞任したら良いだろう。そうでなければ相次ぐ各種暴露に国の品格はますます落ち、大統領個人も耐えるのが難しくなるためだ。

さらに心配なのは危機に置かれた韓国経済と庶民の家計だ。私たちが経験している低成長と二極化を克服するのはだれがやっても容易ではない。しかも植物大統領の手にはとても負えない。

振り返れば韓国現代史に一時代を終え新しい時代への変曲点をもたらした事件にはいつも経済問題があった。

4・19革命の背景には韓国戦争(朝鮮戦争)後に疲弊した経済で苦しむ国民がいた。当時韓国は1人当たり国民所得が100ドル未満で、米国に依存する援助経済だった。援助物資は政経癒着で主に既得権層が持って行った。

こうした状況で国民は野党の「生きていけない、変えよう」に歓呼した。それでも李承晩政権は経済復興の代わりに不正選挙で政権延長を試み4・19革命を招いたのだ。

79年の釜馬(プマ)民主抗争の始まりは当時の金泳三(キム・ヨンサム)新民党総裁の国会除名だ。しかし維新独裁の崩壊につながるほどの大規模市民が参加した背景には77年に導入した付加価値税がある。付加価値税は国民的な合意なく一方的に導入された。

また、この税の導入後に消費者物価が大きく上昇した。当然国民の拒否感は激しかった。こうした民心は78年に与党である共和党の敗北、そして維新撤廃、付加価値税撤廃スローガンとして現れた。付加価値税という経済問題が強固な維新独裁に穴を開ける核心的な原因になったのだ。

97年の水平的政権交替には通貨危機が役割を担った。通貨危機の背景には過剰投資による過剰施設により施設維持費用が製品販売額より多くなり発生した現金の純流出がある。

これだけでなく急進的な市場開放と資本自由化を持ってきた96年の経済協力開発機構(OECD)加入でその年の国際収支赤字が229億ドルに達した。これは国内総生産(GDP)のほぼ5%に達する数値だった。

一般的に国際収支赤字がGDPの3%を超えると危険だという。国際通貨基金(IMF)から救済金融を受ける事態が発生すると国民は新しい政治勢力を選択し通貨危機を収拾させるようにした。解放後初めて野党による政権交替がなされた。

このように歴史の転換を成し遂げた事件には経済問題が背景にある。問題解決策はその時ごとに違う。97年のように政治的に収束されれば平和的に解決される。

しかし政治的に解決できなければ4・19革命と釜馬民主抗争のように市民を通りに呼び出し国家的に大きな傷を残す。

http://japanese.joins.com/article/980/222980.html
http://japanese.joins.com/article/981/222981.html

>>2以降に続く)