korea-929490_640
(イメージです。)

 
1:2016/11/27(日) 21:13:27.71 ID:
朴槿恵(パク・クネ)大統領が今回の“崔順実(チェ・スンシル)スキャンダル”の主、崔順実と関係ができたのは、彼女の父・崔太敏(テミン)牧師と親しかったからだ。1974年、母がテロの流弾で亡くなったとき、崔牧師から癒やしの手紙をもらったのがきっかけだった。20代前半で母を失った朴槿恵氏の心の隙間に、崔牧師が入り込んだのだ。

韓国マスコミによると崔牧師は“呪術師”的で詐欺、横領などよからぬウワサがあったため、当時の情報機関のトップが背後調査の結果を父の朴正煕(チョンヒ)大統領に報告し注意を促した。しかし朴正煕は「クネがねえ…」といって黙認してしまった。娘への“情”からである。

朴正煕は夫人が亡くなったときはまだ50代だった。そこで再婚を勧められたことがあるが、その時も「クネが(反対するから)ねえ…」といって断ったという話が残っている。

父・朴正煕は戦前の日本統治時代に師範学校と士官学校を出た日本の近代化教育の申し子のような人物だった。大統領時代は強烈な国家主義と反対派排除の“鉄拳政治”で韓国を今の発展に無理やり引っ張っていった。そんな朴正煕でも“家族の情”には弱かったのだ。

あの時、父が自らの政治スタイルと同じように冷徹に、崔牧師を娘から厳しく排除していれば今のような娘の無残な姿はなかったかもしれない。

その父も1979年、側近に暗殺され世を去る。キリスト教筋によると、両親を失い、多くの人々がそばから去っていくなか、朴槿恵氏は一時、「心の救い」を求めてある神学校に通おうとした。しかし時代の変化に敏感な学校の牧師や学生たちは彼女を「独裁者の娘」と非難し、追い出したという。彼女がさらに崔一家に傾斜していった背景の一つかもしれない。

朴槿恵氏は世論の父への高い評価と郷愁を背景に大統領になった。しかし当初の対中国傾斜外交によっていくつかのことで父を裏切ったと思う。一つは中国政府に頼んで旧満州のハルビン駅に伊藤博文暗殺の抗日運動家、安重根の記念館を建ててもらったことだ。

父は青年時代、日本統治下の満州に人生の夢を抱き満州国軍将校になっている。満州を舞台に安重根とは逆の人生を歩んだのだが、安重根顕彰は父の青春の否定である。これはきつい。

もう一つは朝鮮戦争の侵略軍でもある中国共産党の人民解放軍による抗日戦争勝利記念パレードに出席したことだ。父はその「北の脅威」に備えるために心血を注いだ指導者ではなかったのか。

朴槿恵大統領は政治家として“父離れ”を目指したのかもしれないが、父を乗り越えることはできなかった。日本統治時代に教師と軍人の教育を受けた父は、組織的発想や用兵術(人の使い方)に通じていたが、娘はそれが足りなかった。

とくに“疑似家族”として崔一家に身を寄せたことにみられる「組織より人脈が重要」というあしき韓国文化(?)に足をすくわれた。父は「家族への情」にほだされたことが後に娘に不幸をもたらす結果になったが、この点だけは父に似てしまったようだ。

産経 黒田勝弘(ソウル駐在客員論説委員)
http://www.sankei.com/world/news/161127/wor1611270025-n1.html