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▲1900年大韓帝国勅令第四十一号。石島を鬱道郡の管轄領に含めるという内容だ。(写真提供=私たちの文化を培う会)

「第2條。郡庁位置は台霞洞に定め、区域は鬱陵全島と竹島、石島を管轄する事」。

高宗(コジョン)皇帝が1900年10月25日に公表した『大韓帝国勅令第四十一号』のこの条項は石島〔現在の独島(ドクト、日本名・竹島)〕が韓国固有の領土であることを立証する重要な根拠に挙げられている。

1905年に日本の島根県が独島を不法編入するその5年前、すでに大韓帝国が石島を地方行政単位である鬱道郡(ウルドグン)の管轄領として公表していた事実を明確に示しているためだ。だが、これまで日本学者は「石島」が「独島」を意味するのか明確ではないとし異議を唱えてきた。

最近、韓国の主張通り「石島=独島」であることを裏付ける重要な文献記録が発掘された。社団法人「私たちの文化を培う会」(理事長・キム・ムンス)は29日、「1938年に発行された初めてのハングル辞典『朝鮮語辞典』の初版本を、最近、国内の古本屋で発見した」とし「この辞典の379ページには『ドク』を『トル(石)の訛り』と解説している部分があり、これは当時石島が独島の別の名称であったことを示す明白な証拠」と明らかにした。当時、鬱陵島の住民たちが独島を「トルソム」の訛りである「ドクソム」と呼び、これがその後「独島」に変換されたという主張を裏付ける資料だということだ。

『朝鮮語辞典』は、日帝強占期に国語学者の青嵐(チョンラム)文世榮(ムン・セヨン)先生が主導して作った最初の総合国語辞典で、約10万語の語彙がまとめられている。この辞典の修正増補版は広く知られているが初版本は国内では見つかっていなかった。

大韓帝国勅令に鬱道郡の領域として表記されたチュクド(竹島)が鬱陵島から東に約2.5キロ離れた現在のテッソムを指すことについては韓日両国間で異見はない。だが石島をめぐっては意見が交錯していた。日本学者は石島が独島であることを証明する明確な文献資料がないとし、石島が鬱陵島の横のカクセソム(観音島)を意味すると主張した。

半面、韓国学者は「石島=独島」であることを類推できる資料を多数発掘して反論してきた。『朝鮮地誌資料』(1911)と『韓国地名総覧』(1966~86)などの文書を分析した国立中央図書館のイ・ギボン古書専門員は「純粋なウリマル(=ハングル)による地名のうち『トル(ソク)』と同じ意味の訛りで『ドク』が使われているケースは無数にあり、漢字ではこれを石と表記した」とし「全羅道(チョルラド)だけでなく慶尚道(キョンサンド)や京畿道(キョンギド)一帯でも「ドクタリ(トルタリ、石橋) やドクゴゲ〔トルゴゲ、石=(ヒョン、山へんに見)〕などが広く使われた」と説明した。

このようななか、「私たちの文化を培う会」は昨年独島を「朝鮮のもの(朝鮮ノ持之)」と明示した日本地理学者林子平(1738~93)の1802年版『大三国之図』を発掘するなど独島が韓国固有領土であることを立証する資料を多数発見した。<中央日報2015年7月17日付『1802年の日本地図「独島は朝鮮のもの」』記事および『1956年に日本政府が制作した地図一覧図にも「独島」はない』記事>

また、31日午後2時にはソウル汝矣島(ヨイド)国会図書館地下1階大講堂で「なぜ私たちはいま地図を見なければならないか-独島の左図右史」という主題の独島学術シンポジウムを開き、『朝鮮語辞典』初版本とそれまで発掘された地図の意義を説明する予定だ。

今回のシンポジウムではこれまで一般に公開されなかった日本海軍省の海図と水路誌、そして明治時代における日本最大の出版社「博文館」から1893~1908年の間に発行された独島関連地図なども公開される。

この日、主題発表を行う韓国伝統文化大学教養学部のチェ・ヨンソン教授は「『左図右史』は唐の歴史書『楊綰伝』に登場する言葉で、歴史を勉強する時には左側には地図を右側には歴史書を置いて一緒に研究しなければならないという意味」としながら「17~18世紀に出された歴史書と地図を比較・分析して日本の独島領有権の主張が明白な誤りであることを明らかにする」と話した。

ソース:中央日報日本語版<「独島は韓国固有の領土」裏付ける文献記録見つかる>
http://japanese.joins.com/article/999/219999.html