台湾 

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:2014/04/10(木)10:23:42 ID:
先日、中台サービス貿易協定の批准を阻むべく、台湾で学生が立法院(国会に相当)を占拠していた一件を取材して本誌に記事を執筆し、併せて「30枚の現場写真で考える台湾の学生蜂起」というフォトレポートを当サイトに掲載した。その後、7日、学生たちは、立法院長が要求の受け入れを表明したことで「一定の成果が得られた」として、10日にも立法院を退去すると発表した。騒動は、とりあえずの収束を見ることになりそうだ。

と、ここまで書いたものの、貿易協定の是非や中台両岸関係を書くことはこの稿の趣意ではない。一連の騒動を取材する中で、いやそれより前から台湾情勢を取材する中でずっと思っていたことがある。通常の記事には盛り込めないため、以下は私見に及ぶが、私見の許される小欄を借りて書いてみたい。

断行しても交わされ続ける友好

台湾の地について考えるとき、私の心をいつもある種の感情が騒がせる。好意的な感情だ。もっとはっきり書けば、私は台湾が「好き」だ。

だが、なぜなのか。公私含めて、何度も台湾島を訪れる中で、出会った人や風土が私の好みに合ったから、というのはもちろん前提としてある。だが、自分の感情と向き合う中で思うのは、私が台湾に好意的な感情を持っているのは、彼ら彼女ら台湾人の多くが私たち日本人に好意的でいてくれる、という事実に因る部分が少なからずあるのではないか、ということだ。

好悪の情というのは、一方通行では長く続かない。日本人の多くが台湾に対して好意的であるがゆえに、台湾人の多くが日本に対してもそうであってくれる。もちろん逆もまた真なり、だろう。

加えて、妨害されればされるほどに燃える恋心、というようなものもあるかもしれない。これほど友好的な市民感情の交流があるにもかかわらず、日本は1972年に日中国交正常化に伴って台湾(中華民国)と断交しており、正式な国交は今なおない。台湾には日本の大使館は
なく、日本にも台湾のそれはない(ただし同等の機能を果たす出先機関はそれぞれ設置している)。国際政治のパワーゲームに引き裂かれてしまったがゆえに、逆に、互いの市民感情にはより強く結びつこうという力学が働くのかもしれない。

――私は今、「好き」という感情を因数分解するような愚文を連ねている。感情に理屈を付ける愚かさは、リンゴの果肉の甘味酸味や赤い皮の色を言葉で説明しようとするそれに等しいということは承知している。だが、この感情が、私が台湾について何事かを書こうとする時に
私の筆圧に一定の力を加えているような気がして、この稿を書きながらその正体を探りたいという思いに駆られている。だから愚考にもう少しお付き合いいただきたい。

そもそも、なぜ台湾人の多数は私たちを好きでいてくれている(と、私たち日本人には感じられる)のか。

よく知られているが、台湾には「狗去猪来(犬が去って豚が来た)」という言葉がある。日清戦争に勝利した日本が清から台湾を割譲され、以降、日本の統治下に置かれた。終戦後に日本が引き揚げ、その代わりに国共内戦(国民党と共産党の内戦)で敗れた国民党・蒋介石
が台湾にやって来た。台湾に古くから住む人たちにとっては、外来政治勢力として、日本という「犬」が去り、国民党という「豚」が来た、ということだろう。

犬と豚、いずれも自分たちの民意が選び出した代表者ではなく、外来の支配勢力には違いない。国民党(豚)より日本(犬)の方が「マシ」だったという程度の違いに過ぎない。