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(イメージです。)

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:2016/06/22(水) 20:53:23.39 ID:
塩野七生氏が不都合な真実を語った。すると韓国で公敵となった。

全体主義の象徴

――前回の「ドン・キホーテは『進撃の巨人』の夢を見るか」に引用されたハンギョレの記事の見出し。なぜ「塩野七生」が入っているのですか。

鈴置:キル・ユンヒョン東京特派員が書いた「塩野七生、あるいは全体主義の誘惑」(5月27日、日本語版)のことですね。

オバマ(Barack Obama)大統領の広島訪問を論じたこの記事は「謝罪要求を口にさせない日本」を批判し「日本は全体主義に向かう」と警告しました。

キル・ユンヒョン特派員によれば「塩野七生」こそが、日本の全体主義を象徴します。だから見出しに入っているのです。

筆者は記事の冒頭で、塩野七生氏の著作を読破したと告白しています。しかし文末では、ソウルに戻ったらそれらの本はすべて片付ける、と書きました。

国の品位の差

――どうしてですか。

鈴置:塩野七生氏が朝日新聞のインタビューに答え「無言で静かにオバマ大統領を迎えよう」と語ったからです。

キル・ユンヒョン特派員はこれを「原爆投下に対し謝罪を要求する個人の切実な呼びかけを、国家の品格という名で遮断しようとする全体主義的な日本社会」の一端と見なしたのです。

朝日新聞の「オバマ大統領の迎え方」(5月25日)の塩野七生氏の発言のうち、以下の部分をハンギョレは引用しました。朝日の原文と少し異なりますが、ハンギョレの記事をそのまま引きます。

・謝罪を求めず、無言で静かに(オバマ大統領を)迎える方が、謝罪を声高に求めるより、断じて品位の高さを強く印象づけることになるのです。

・(韓国と中国は)ヨーロッパを歴訪して『日本は悪いことをしていながら謝罪もしない』と訴え、効果があると考えたのでしょうか。私には、外交感覚の救いようのない欠如にしか見えませんが。

・日本が原爆投下への謝罪を求めないとしたことの意味は大きいのです。欧米諸国から見れば、同じアジア人なのに、と。国の品位の差を感じ取るかもしれません。

・デモや集会などはいっさいやめて、静かに大人のやり方で迎えてほしい。

前回も話しましたが、韓国では被害者とは「地面を転げ回って大声で泣き叫ぶもの」です。「静かに迎える日本」は韓国人には全体主義国家に見えるのです。
 
日経ビジネス 2016年6月22日
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/226331/062000056/?rt=nocnt
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/226331/062000056/?P=2
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/226331/062000056/?P=3
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/226331/062000056/?P=4
 
【鈴置高史】「米国から免罪符を貰った日本」に憤る韓国 「オバマは韓国人慰霊碑を無視した」1[6/9] [無断転載禁止]©2ch.net
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1465467672/
【鈴置高史】「コリアン・ロジック」で逆恨みする韓国 「オバマは韓国人慰霊碑を無視した」2[6/10] [無断転載禁止]©2ch.net
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1465538085/
【鈴置高史】ドン・キホーテは『進撃の巨人』の夢を見るか 「オバマは韓国人慰霊碑を無視した」3[6/16] [無断転載禁止]©2ch.net
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1466137586/
 
続く
  
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前回の記事はこちら↓からどうぞ
【鈴置高史】ドン・キホーテは『進撃の巨人』の夢を見るか 「オバマは韓国人慰霊碑を無視した」(3)(2016/06/23)
【鈴置高史】「コリアン・ロジック」で逆恨みする韓国 「オバマは韓国人慰霊碑を無視した」(2)(2016/06/11)
【鈴置高史】「米国から免罪符を貰った日本」に憤る韓国 「オバマは韓国人慰霊碑を無視した」(1)(2016/06/10)
上記を含む鈴置氏の記事はこちらから↓どうぞ
http://mizuhonokuni2ch.com/?tag=%E9%88%B4%E7%BD%AE%E9%AB%98%E5%8F%B2
 
=管理人補足=
塩野 七生(しおの ななみ、女性、1937年7月7日 - );
日本の歴史作家 (プロの学術研究者ではなく「小説家」)である。
 
東京市滝野川区(現・東京都北区)生まれ。東京都立日比谷高等学校、学習院大学文学部哲学科卒業。1963年からイタリアで学び、1968年に帰国すると執筆を開始。『中央公論』掲載の「ルネサンスの女たち」でデビュー。1970年には『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』で毎日出版文化賞を受賞。同年から再びイタリアへ移り住む。ローマ名誉市民を経てイタリア永住権を得ており、ローマに在住。
 
一連の著作を通して、日本において古代ローマ史やイタリア史に対する関心を高めたことは高く評価されている。
 
wikiより抜粋
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A1%A9%E9%87%8E%E4%B8%83%E7%94%9F
 
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