1:2016/05/18(水) 10:49:38.42 ID:
朝鮮の法宮である景福宮の懸板の中で3個は色相や形態ではなく文字自体が間違っていたことが確認された。

18日、文化財庁によれば景福宮交泰殿圏域の‘補宣堂’と含元殿圏域の‘資善堂’、‘隆化堂’の懸板を19世紀末に製作された景福宮の平面配置図である‘北闕図形’、朝鮮時代の文献‘宮闕志’、‘日省録’と対称した時、文字に誤謬があった。

これら懸板は全て1995年に作られたもので、文化財庁が去る2006年延世大国学研究員から提出された‘古宮懸板学術調査研究用役’報告書で誤謬が摘示されたにも10年間放置されていた。
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交泰殿に掛けられている懸板、本来は‘輔宜堂’が正しい。

この報告書によれば交泰殿南側行閣の西側にある補宣堂の懸板は本来‘輔宜堂’だ。輔宜は‘天地の当然を輔相する’という意味で、周易の‘輔相天地之宜’から来た。

また含元殿西側行閣にある資善堂と隆化堂はそれぞれ資安堂と隆和堂が正しい名前だ。

特に資善堂は景福宮含元殿の行閣ではなく王世子と世子嬪が留まった東宮の建物である。日帝強占期に毀損された資善堂は1999年に復元されて、景福宮には漢字がまったく同じ‘資善堂’懸板が二つ存在する状況である。

報告書は含元殿圏域の二つの懸板に対して「1915年以後出版された資料に出てくる名称で懸板を新たに交替しなければならないものと判断される」と指摘した。

2006年用役調査を主導したキム・ヨンボン延世大講師は「輔宜堂と補宣堂は‘宜’の字と‘宣’の字が似ていて惑わされたようで、資善堂と隆化堂は間違った日帝強占期の資料を参考にして誤謬が発生したようである」とし「1995年の懸板復元当時、北闕図形と日省録を確認していない理由が分からない」と話した。

一方、文字に誤謬がある三つの懸板は文化財庁が去年再び用役形態で進行した‘宮闕懸板考証調査’では問題懸板に分類されていないことが分かった。

調査を遂行した歴史建築技術研究所は史料と20世紀初盤に撮影された写真などを根拠に下地の色、文字の色、形態、丹青と装飾、掲示位置が間違っている懸板を選り分けたが、三つの懸板はここに含まれなかった。

キム・ヨンボン講師は「基本的に文化財は元来の姿が維持されなければならず、原形通りに復元しなければならない」とし「間違った懸板は一日も早く元来の文字に戻すべきである」と主張した。

文化財庁関係者は「誤謬が確実であると判断された懸板は交替する計画」として「修理する時点になれば考証調査と文化財委員会審議を経て変えるようにする」と明らかにした。
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含元殿圏域の懸板。上の懸板は‘資安堂’、下の懸板は‘隆和堂’が正しい。

2016/05/18 06:20
http://www.yonhapnews.co.kr/culture/2016/05/17/0901000000AKR20160517171800005.HTML