1:2016/05/02(月) 21:45:51.58 ID:
(画像:イスラム革命とイラン-イラク戦争の戦死者を追悼する壁画)
2be4aa42.jpg

 1月に米国・欧州連合(EU)など西側の制裁解除措置で経済発展の歴史的な転機を迎えたイランはどんな姿なのだろうか。イランはどんな経済発展戦略を講じているのだろうか。これに関する話を聞くため先月21-25日、イランの首都テヘランと経済首都イスファハン、文化首都シーラーズを訪問し、現場を取材した。これを通じて1-3日に朴槿恵(パク・クネ)大統領が訪問するイランは韓国とどんな経済協力を期待しているのかも調べた。

 イランでは依然としてイスラム革命の伝統が生きて呼吸していた。1979年のイスラム革命後に始まった神政政治の姿は相変わらずだった。街中はもちろん、政府や公共建物には必ず革命の主役であり初代最高指導者のホメイニ師(1902-89)とその後継者のハメネイ師(77)の写真が並んで掛けられていた。閣僚執務室、商工会議所会議室、大学研究室、空港など、どこへ行っても2人の指導者の写真は目に入った。一方、国民が選出したロウハニ大統領(2013年就任)の写真はあまり見ることができなかった。イスラム革命直後に制定された憲法でイスラム・シーア派最高聖職者が世俗権力を握るようにしたからだ。

 すべての公式行事はイスラム教の聖典コーランの朗唱放送で始まった。韓国海洋水産開発院(KIMI、院長キム・ソングィ)が先月23、24日にイスファハンとテヘランで開催した「2016韓・イランビジネスフォーラム」も同じ順序に従った。

 ところが一つ特異な点があった。どの都市に行ってもあちこちに若者の写真が印刷された垂れ幕や壁画があった。写真と形は村ごとに少しずつ違う。イスラム革命とイラン-イラク戦争(1980-88)で戦死した青年たちの写真だった。男女の区分はなかった。イラン-イラク戦争はイスラム革命が周辺国に波及しないようイラクのサダム・フセインがイランを侵攻しながら始まった戦争だ。米国の支援を受け、イランを牽制するために行った戦争という主張が支配的だ。したがって革命を守るために行ったこの戦争もイスラム革命の延長ということだ。いくつかの青年の写真は非常に大きく単独で掛かっていた。パルシ(イラン語)はもちろん、英語でも「国民の英雄(National Hero)」と書かれていた。武功を立てて戦死した軍人という説明だ。このためイランの都市はイスラム革命の跡で埋まっているようだった。
 
◆「周辺とうまく付き合うのがペルシャの伝統」
 
 テヘランのある街には米国の国旗「星条旗」の星の部分を骸骨に変えて描いた後、ストライプの部分に非常に大きく英語で「米国を打倒しろ」(DOWN WITH THE USA)、パルシで「米国に死を」と書いた超大型垂れ幕も設置されていた。

 しかしこうした風景とは違い、人々は親切で都市は平和だった。経済制裁解除後の新しい変化に対する期待に満ちていた。中国の習近平国家主席など世界主要国の首脳は先を競ってイランを訪問している。

>>2以降に続く)

(中央SUNDAY第477号)

中央SUNDAY/中央日報日本語版 2016年05月02日16時02分
http://japanese.joins.com/article/240/215240.html

関連スレ
【中央日報】イランから仕返しを受ける韓国[2/1] [無断転載禁止]©2ch.net
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1454318483/