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▲‘19世紀、日本地図に独島はない’ 独島体験館長イ・サンギュン博士著

「海図上にない二つの小さな島を見た。」(米国捕鯨船チェロキー号の航海日誌から)

独島(ドクト、日本名:竹島)を西欧勢力が最初に捕らえたのはフランス捕鯨船リアンクール号と知られている。しかし、米国捕鯨船チェロキー号のジェイコブ・クリーブランド船長は1848年4月16日、独島を発見して航海日誌にこのように記録した。

学界ではクリーブランド船長が独島を発見した初めての西洋人と推定する。しかし、独島が世界地図に表記されたのは1850年4月、フランス、リアンクール号の航海報告書が提出されてからだ。この時から独島は発見船の名前を取って‘リアンクール岩’と命名された。

日本が絶えず提起する今日の独島領有権を論じるには西欧勢力の記録が重要な端緒となる。なぜなら日本が19世紀、ずっと独島の存在自体を認識できなかったという事実が東北アジア歴史財団、独島体験館長イ・サンギュン博士が書いた‘19世紀、日本地図に独島はない’を通じて確認されたからだ。

19世紀、日本人の独島に対する無知は彼らが西欧地図を模倣する過程でよくあらわれる。当時、西欧で製作された地図には独島がなかったし、鬱陵島と鬱陵島北西海上に疑問の島アルゴノート(架空の島)とのみ表現された。

日本は西欧地図を書き写す過程で鬱陵島をアルゴノートと感じ、独島を鬱陵島と誤認した。独島自体を日本の領土と認識しなかった根拠だ。日本は露日戦争時期の1905年、独島を島根県にタケシマ(竹島・日本が主張する独島の名称)という名前であたふた不法編入した。しかし、これさえも日本人が本来、独島を呼んだマツシマ(松島)という名前が鬱陵島の名称になって、独島名称が突然、竹島になる笑えないできごとだったというのが著者の研究結果だ。

日本政府は毎年2月22日を竹島の日に定めて独島領有権挑発を行う。著者のイ博士は「17世紀後半から19世紀後半に至るまで日本側では一貫して独島を朝鮮領土と認識していた」として「それでも今日、独島に対する領有権を主張するのは純粋な闘争でもない、日本帝国主義的亡霊がよみがえる、もう一つの形態の侵略と規定するほかない」と強調した。

アン・ドンファン記者

ソース:ソウル新聞(韓国語) 日本の‘独島領土論’覚醒させた西欧地図
http://www.seoul.co.kr/news/newsView.php?id=20160222020005&spage=1