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(イメージです。)


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:2015/12/30(水) 17:09:45.37 ID:
 今年87歳の李容洙(イ・ヨンス)さんはとうとう涙をこぼした。李容洙さんはおととい、ソウル市麻浦区にある韓国挺身隊対策協議会(挺対協)の事務所を訪れた。朝早くに大邱を出発してソウルに来たという。韓日外相会談の結果を見守るためだ。李容洙さんは両国外相の発表を聞き、「日本は口ではそう言うが、実際に謝罪したわけではない」と声を荒らげた。そして「お前ら(元慰安婦たち)がカネを稼ぎに行ったから、苦労したからカネをやる(ということだ)…」と言いかけて、声を詰まらせた。

 大邱は李容洙さんの生まれ故郷だ。15歳だった1943年10月、「隣人に呼ばれて外出したところ、ほかの女性4人と一緒に日本軍に連れて行かれた」という。汽車・トラック・船などに乗り換えた末に行き着いたのが台湾だった。そして10代半ばにして日本軍の性の慰みものになった。第二次世界大戦が終わった後、故郷に戻ったが、半世紀近くにわたり自身がさいなまれたおぞましい過去について、誰にも訴えることができず、ずっと一人暮らしをしてきた。今は保証金180万ウォン(約18万円)の永久賃貸アパートで一人暮らしをしているという。

 筆者が慰安婦問題に初めてかかわったのは1991年夏、外交部(省に相当)に出入りしていた時のことだった。「従軍慰安婦」だったという事実を隠して生きてきた数人の元慰安婦女性が初めて口を開いた。同年8月、当時67歳だった金学順(キム・ハクスン)さんが記者会見を開き、17歳の時に3カ月間従軍慰安婦として暮らし、脱出したことを公表した。この時から宮澤喜一首相=当時=が訪韓した92年初めまで、韓国は「慰安婦問題の大きな炎」に包まれた。激しいデモが相次ぎ、日の丸や日本人政治家の人形に火がつけられた。きょう1211回目を迎えるソウルの日本大使館前で水曜集会が始まったのもこのころだ。

 慰安婦問題が明らかになると、韓国政府は日本に対し超強硬姿勢を取った。盧泰愚(ノ・テウ)大統領=当時=は日本の首相を前にして「歴史と国民の前でうそをついている」と責め立てた。だが、韓国政府の焦点は慰安婦問題ではなく、韓国の貿易赤字の大半を占める対日貿易不均衡の改善案を日本側から引き出すことだった。当時水面下で行われた韓日実務交渉の場で会った韓国の外交官は「慰安婦問題を対日貿易不均衡と結び付ける交渉は、外交官の良心上、到底できない」とまで言った。こうした紆余(うよ)曲折の末、韓日経済協力案が整備されたが、実質的な貿易不均衡改善効果はほとんどなかった。
(中略:>>2-5あたりに続く)

 筆者はしばしば、日本の首相が予定外で来韓し、元慰安婦の女性たちが暮らしている京畿道の「ナヌムの家」を訪れ、頭を下げて謝罪する姿を想像していた。日本と同じく第二次世界大戦の戦犯国であるドイツは、折に触れてナチスの被害者のもとを訪れ、許しを請うた。もし、日本もそれができたなら、日本を見直していただろうし、日本を恐れる気持ちも膨らんでいただろう。だが、日本はそうはできない国だということが今回の交渉であらためて明らかになった。ドイツがヨーロッパだけでなく世界のリーダー国となった一方で、日本が近隣諸国との旧怨(古くからの恨み)に足を引っ張られ、さらに前に進めないのも、こうした理由があるからだろう。

 日本を相手に激しい言葉で感情的に対応すれば、国際社会の中で韓国人自らが「韓国の立場」を狭めるばかりだ。この3年間、現政権がやってきた対日外交の失敗がその証拠だ。韓日関係は慰安婦交渉合意で再び出発点に立った。今こそ日本に韓国を畏怖させる発想の転換と外交戦略を考えなければならない。慰安婦問題を初めて提起した金学順さんは1997年にこの世を去った。金学順さんをはじめ、元慰安婦として登録された約200人のうち、現在生存しているのは46人だけだ。日本のせいにばかりにするのではなく、私たち韓国人が真心をもって元慰安婦の女性たちに寄り添って行ければと思う。

朴斗植(パク・ドゥシク)副局長兼社会部長

ソース:朝鮮日報日本語版【コラム】「日本のせい」ではなく、日本を畏怖させる外交を
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/12/30/2015123001044.html