韓国 経済 
(イメージです。)


1
:2015/12/24(木) 12:51:48.13 ID:
1997年のクリスマスはただただ暗鬱だった。人の脳は悲しくて苦しいことはすぐに忘れるという。それでもその日の記憶は今も鮮明に残っている。国が頂点を極めていた時だった。国際通貨基金(IMF)と先進7カ国(G7)はその日、韓国に対する救済金融を決めた。外信は「クリスマスプレゼント」と呼んだ。ミシェル・カムドシュIMF専務理事は「偽装された祝福」という言葉を使った。その直言に怒りはしたものの、表面では金持ち国の善心にただ感謝しなければならなかった。心の中では再びこのような恥辱を受けないようにと歯を食いしばり血の涙を流した。

数日後に迎えた98年は地獄そのものだった。漢江(ハンガン)の橋には通行する車両が途絶えた。ウォン価格が一気に下落して原油安に耐えることができなかった。閉鎖された第一銀行の職員は「涙のビデオ」を撮影した。「再びこの地に我々のような悲劇がないことを…」という言葉が流行語にもなった。数万人があっという言葉も出せないままに離職を強いられた。強いドルの恐怖はそのようにしてこの地に深く刻まれた。(中略:当時の国、国民、マスコミの対応)

17年の時が流れて再び危機論が大きくなっている。しかし今は当時とは大きく違う。大統領は「国家非常事態に準ずる経済危機」と言っているのに国会議長は「そうではない」と言う。経済副総理は「来年の経済は大丈夫だ」と言って安心させる。半分残ったコップの水をめぐって青瓦台(チョンワデ、大統領府)・政府・与党が、片方は「半分しか残っていない」と言っているのにもう片方は「半分も残っているではないか」と言っているようなものだ。家族の間でも診断が違えば薬を使うことはできない。

どちら側を見るかによって判断が変わることはある。当時と同じ部分は以下のようなところだ。

ゾンビ企業が群れとなっている。労働法など改革法案は国会で全く進んでいない。米国の強い力が再び世の中を押さえ付ける支度をしている。青年は就職絶壁だ。新興国には危機の兆しが見える。一方、違いはこういうところだ。国の借金と家計・企業の負債は天井知らずだ。中国が失速している。日本が目覚めた。我々は分裂している。そんな中、「外貨準備高は3686億ドルで、これは当時の15倍以上だ」ということがほぼ唯一の慰めだ。果たしてそれだけで充分なのか。

はっきりしていることは、水がカップにいっぱいあるのではなく半分だという事実だ。明日になれば空になるかもしれない。セヌリ党の李漢久(イ・ハング)議員は最近の経済危機論を熱心に説いて回っている。李氏は政治はポピュリズム、政府・官僚は無事安逸、財界は挑戦意志を失っていると診断した。こういうことを正していかなくてはならない社会すら大きな葛藤によって混乱だけをあおっている。李氏は「国が(再び)滅びないことには目を覚まさないだろう」と言って嘆いた。李氏だけでなく、私の周辺にはこの頃そのような話をする者がぐんと増えた。

だが、それも自信を持てない。98年当時、金集め運動に参加したAは「もし今、再び危機が来ても同じことはしない」と言った。持たざる者の犠牲によってかろうじて生き返らせた国を、持つ者や力の強い者が互いにやり合いながらめちゃくちゃにするところを見たくないという。情けなくて嫌になったという。再びクリスマスだ。叫んではみるが応答は期待できないようだ。それでも叫んでみる。応答せよ1998。

イ・ジョンジェ論説委員

ソース:中央日報【時視各角】応答せよ1998=韓国
http://japanese.joins.com/article/006/210006.html