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今月26日、殉国104周年に迎える安重根(アン・ジュングン)義士が日本の裁判所で堂々と明らかにした伊藤博文を処断した15種の理由のうち一番目はまさに「明成皇后を弑害した罪」だった。1909年10月26日、安重根義士の伊藤狙撃が20世紀初めの‘世紀の事件’だとすれば1895年10月8日、明成皇后弑害事件は19世紀末の世界の人々を驚愕させた‘世紀の蛮行’だった。

隠れた王国朝鮮で起きた驚天動地の事件はニューヨークタイムズなど世界の主要メディアが速報するなど強い関心を見せた。21日、ニューシースが把握した範囲では明成皇后の弑害が起きた1895年10月8日の乙未事変を一番先に報じたアメリカメディアはニューヨーク・タイムズだった。

事件発生四日後の10月12日、ニューヨーク・タイムズはワシントン発で短いが緊迫した記事を送った。‘激動のソウル事件(Seoul's Turbulent Affairs)’というタイトルの記事だった。「長崎にあるカーペンター海軍所長が11日、韓国の首都ソウルで非常に混乱した事件が起きたと電文を送った。彼は王妃が暗殺されたようで王とその側近たちがアメリカ公館にシェルターを用意したという報告を受けたと伝えた。」韓国王妃が弑害された後、身辺の脅威を感じた高宗皇帝などがアメリカ公館に身を避け、日本にあった米海軍兵力が緊急派兵されたことを知らせるニュースだった。

また、ワシントンのプルマン・ヘラルド(Pullman herald)は一週間後の10月19日「政治局長であるコーローマ伯爵が最近のソウルでの反乱に関する報告書を伝えた。王の父である大院君が主導する反改革派によって王妃が殺害されたと推定される。彼らは武装したまま王宮を乱入した。」と記事を送った。

日本の浪人が‘狐狩り’という暗号の下、緻密な弑害計略をたて、これを大院君を含む朝鮮軍のせいにする内容が報道されたのだ。しかし、乙巳弑害が他でもない日本が主導したという目撃者証言と情況証拠が現れ世界メディアもそれを伝え始めた。このような報道は、例えばニュージーランドメディアの報道で確認できる。

ニュージーランド最古のメディアであるザ・プレスは1895年11月26日5面に「韓国王妃の暗殺」という記事で明成皇后は勿論、13人の宮女が殺害され死体を燃やす蛮行とともに黒幕が日本であることを示唆した。「チャイナ・メールが韓国の王妃と13人の侍女が暗殺された事件に関する詳細なニュースを伝えて来た。約200人の韓国軍人たちが王妃が住む宮殿の入口から乱入し日本人がかかわったことが知られた。女性たちと宮廷守備隊将校を殺した暗殺者たちは反逆者で死体を燃やす蛮行を犯した。

これに先だち11月22日テキサスのフォートワースガゼットはタイトル「計画された殺人陰謀」の記事で「親日派の首切り後、ロシアを引き入れようとする明成皇后の策略に気づいた大院君など異論派たちが先手を打った」として日本の陰謀の可能性を示唆した。同紙は日本の浪人たちを明示しなかったが暗殺者の調査が広島で始まったと伝えて人目を引いた。(中略)

ニューヨークタイムズは11月10日、イギリスのウエストミンスターガゼットを引用して明成皇后が死の直前まで夜も寝むれず死を恐れていた事実を報道した。‘韓国王妃の特徴(Characteristics of Queen of Corea)’は記事で「最近亡くなった韓国の王妃は全く幸せな人生ではなかったように見える。関連資料がすべて事実なら明成皇后は王を残酷に扱った。朝廷のすべての地位を一番高い値段を提示する人々に売った。彼女は人々を弾圧し、そのため絶えず暗殺を恐れていた」と伝えた。さらに「王妃は夜ふかしの習慣があり朝5?6時まで寝所に入らなかった。寝室もいくつかあり、側近以外はどこで寝るのか分からなかった。部屋の下には通路につながる小さな門があり、足の早い随行員たちがいつも守っていた。いつでも直ちに逃げられる運送手段を待機させていた。しかし、これらすべての予防策は無駄だった。」と付け加えた。(中略)

日本国会図書館資料によると明成皇后弑害事件の行動大将は三浦梧楼一派だったが、本当の首謀者は伊藤博文を含む最高位の閣僚だった。安重根義士の銃声は世界史に類例がない隣国の国母を弑害し死体を燃やして陵辱した対日膺懲のプレリュードだったわけだ。

ソース:東亜日報(韓国語)"日本人たち韓国王妃殺害死体燃やして"119年前世界新聞明成皇后弑害文献速報
http://news.donga.com/BestClick/3/all/20140323/61923920/1