1:2015/08/10(月)15:18:09 ID:
 台湾南部の小さな村に、ある小さな神社があった。「日本軍」として出征した住民もいた村にとって、戦前の日本統治下につくられた神社は、日本の靖国神社のような存在だった。戦後荒廃が進んだが、住民からの強い要望を受け、横浜市中区の神職、佐藤健一さん(44)が新しい社を制作した。戦後70年の終戦日を前に宮司となり、遷座祭などの神事を行い、現地の戦没者も英霊として祭る。

 台湾南部に位置する屏東県牡丹郷高士村。山間部の自然豊かな地域で、原住民であるパイワン族が多く暮らす。パイワン族は、日本の台湾統治を批判的に扱ったNHKの番組で名誉を傷つけられたとして集団訴訟を起こすなど、親日感情が強いことでも知られる。

 戦前の日本統治時代、高士村には小さな神社がつくられた。住民の陳清福さん(87)によると、現地住民も日本兵として出征。戦没者も出たといい、出征前には「自分が生きて帰ってこなかったら、この神社で会おう」という誓いが合言葉だったという。

 しかし、戦後の国民党政府による戒厳令下、親日的な行動が許されなかったこともあり、神社は次第に荒廃。石垣の礎石を残すのみとなっていた。

それでも陳さんは「戦没した彼らのためにも、この神社を残すことが私の使命だ」と、礎石を保護する屋根を整備したり、周囲の草抜きをしたりして、住民と神社を大切に守ってきた。そしていつの日か、社が再建されることを願い続けていた。

続き 産経WEST 全3ページ

http://www.sankei.com/west/news/150810/wst1508100053-n1.html

再建された神社の社殿。現地住民の要望に応えてヒノキを使用した(佐藤健一さん提供)
2b4e95f1.jpg