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(動画サムネイルです。)


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:2015/08/04(火) 14:19:05.54 ID:
1945年8月15日正午、ヒロヒト(裕仁)日王の震える声がラジオの雑音に乗って流れた。‘大東亜戦争終結ニ関スル詔書’であった。800字分量で内容はわかりにくい。一般人が理解し難い宮廷言葉を使ったからだ。その後‘詔書’の中で「堪へ難きヲ堪ヘ、忍ヒ難キヲ忍ヒ」の一節だけ繰り返し引用された。時を誤って選びやむを得ず戦争を終わらせるのであるから、日本国民はどんな困難にも耐えようということだった。

最近、日本宮内庁が終戦70周年をむかえてデジタルで復元した日王の‘肉声放送’を公開した。再び聞いてもあきれる。敗戦という言葉も、降参という言葉も全くない。植民地侵略についても責任回避だけに一貫した。「帝国(日本)の自存と東亜の安定を切実に望む意味で米・英に宣戦布告したこと」であり、「他国の主権を排し領土を侵した行為も朕(日王)の意思ではなかった」とした。

戦争終結の理由は「敵(米国)が原子爆弾をさく烈させて罪のない国民らを殺傷したため」とした。聨合軍の非人間的行為にも交戦を継続すれば「日本が滅亡するだけでなく人類の文明も破却されるだろう」とした。日王自ら聨合軍の殺戮に反対する人類文明の守護者であり平和主義者であることを明らかにしたのだ。

もちろん原子爆弾を使った米国に免罪符を渡すことはできない。しかし、7月26日、日本の無条件降伏を促したポツダム宣言直後のヒロヒトの歩みもやはり反人倫的だ。ヒロヒトは日本王室が代々大事に保管してきた‘3種の神器(先祖神が伝えた刃物と曲がった玉、鏡)’を爆撃から守る方法を探すことに没頭する。民は眼中にもなく‘3種神器’の愚痴で10日以上消費したのだ。

その結果、広島(8月6日)と長崎(8月9日)に落ちた原子爆弾で33万人が犠牲になった。


ヒロヒトは詔書で「日本人として戦死した者と職務上殉職した者を考えれば五臓六腑が裂ける」と言及した。これもまた途方もない後遺症を残した。ヒロヒトはまさに靖国神社に‘迎える英霊’の資格をいったのだ。日王の放送を絶対‘降参演説’として記録してはならないようだ。

イ・キファン論説委員

ソース:京郷新聞(韓国語) [余滴]ヒロヒトの放送演説
http://news.khan.co.kr/kh_news/khan_art_view.html?artid=201508032006091 

=管理人補足=