1:2015/07/31(金) 23:13:37.56 ID:
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▲対馬から眺めた大韓海峡

(ソウル=聯合ニュース)コ・ウンジ記者

我が国の東南部と日本の九州の間にある海峡「大韓海峡」。
日本地図で大韓海峡という名称は朝鮮海峡で、対馬海峡、玄海灘など多様に変わってきた。

これまで大韓海峡は東海や独島(ドクト、日本名:竹島)に比べて名称変化の研究や関心が非常に少なかったが、日本の教科書で大韓海峡の名称がどのように変わったかを分析し、日本の歴史認識を見せる意味ある論文が最近出た。

31日、ハン・チョルホ東国(トングク)大歴史教育科教授が独立記念館が刊行する「韓国独立運動研究」に投稿した論文「明治時期日本地理教科書における(朝鮮)海峡名称変化とその意味」によれば、日本の地理教科書で大韓海峡に関する言及は韓国併呑を境に温度差を見せる。地理教育の目的が啓蒙あるいは実用中心から国家の立場を代弁する方向に変わったためだ。

朝鮮海峡が初めて登場した地理教科書は1870年、内田正雄の「輿地誌略」だ。「明治時代の三書」と呼ばれ小学校や師範学校教科書に使われた同書は日本の位置を説明しようと挿入した「大日本全図」で巨済島(コジェド)南側の部分に「朝鮮峡」を表記した。しかし、当時、内田を除く他の教科書では最初から朝鮮海峡が扱われていなかった。

朝鮮海峡への言及が本格化したのは1890年に入ってからだ。生活実用主義地理教育方針により日本人の間で地理的認識が順次拡大しながら大部分の教科書が朝鮮海峡に言及した。この時、一部教科書は朝鮮海峡と対馬海峡を併記・混用したがこの時も概して対馬海峡は狭義、朝鮮海峡は広義の意味で使われた。

尋常小学地理歴史教科書は学生用は対馬海峡だけ表記し、教師用は対馬海峡と朝鮮海峡を併記する特異な方式を使った。しかし、1900年に入り地理教科の目的が個人の生活でなく、国家本位の立場を代弁する方向に変わり、朝鮮海峡の地位にも変化がおきた。対馬海峡だけ単独で書く教科書が増え、最初から韓国と共に朝鮮海峡という表記自体が消えた教科書も登場した。

日本文部省が1909年児童用に編纂した'高等小学地理'巻1からは韓国が削除され、翌年出した児童用第2期国政地理教科書'尋常小学地理'には朝鮮海峡(大韓海峡)が登場しない。

教授は「日帝が韓国の植民支配を実質的に推進した当時の歴史的状況を反映していると判断される」として「名称の変化がどんな意味を持っているかを見せる」と説明した。

ソース:聯合ニュース(韓国語) 韓国併呑の序曲…日本教科書から消えた'朝鮮海峡'
http://www.yonhapnews.co.kr/bulletin/2015/07/30/0200000000AKR20150730120100005.HTML