1:2015/07/28(火) 12:44:14.23 ID:
■兵営通信「ケバブ・清麹醤・ホットク・シャブシャブ」…戦争が生んだ食品(イーデイリー)
http://www.edaily.co.kr/news/NewsRead.edy?SCD=JF31&newsid=01302166609438456&DCD=A00603&OutLnkChk=Y
 
-ケバブ草原駆け巡ったオスマントルコ戦士たちが開発して
-匈奴から入ってきたホットク 長期保管可能に戦闘食糧愛用
-高句麗騎兵、茹でた豆発酵させて栄養補充しながら戦闘


19世紀初頭のヨーロッパ全域を号令したフランスの皇帝ナポレオン・ボナパルトは、「軍隊はよく食べてこそよく戦う(An army marches on its stomach)」と述べた。文字通り、飢えてひもじい兵力では戦闘を十分に遂行することはできないものだ。しかし、敵の挑発がいつでも起こりうる状況でのんびりと食事をすることはできない。このため、人類は戦争で栄養を満たしつつ速やかに食べられる戦闘食糧を考案した。私たちが何気なく口にする食べ物の中には戦争から始まったものが、かなりある。

ソウルの梨泰院や弘益大学など若者が多く訪れる街ではトルコ式ケバブを売る店がよく目に留まる。
トルコの代表的な食べ物であるケバブはトルコ語で「串に刺して焼いた肉」を意味する。中央アジア草原とアラビア砂漠を駆け巡っていた遊牧民が手軽に肉を焼いて食べていたことから由来した。ケバブはオスマントルコの兵士たちが肉を薄くスライスして剣に差し込んだ後、火の上で回しながら焼いて食べる戦闘食糧から始まったという説がある。

肉を丸ごと焼こうとすると中まで調理するのに時間がかかることに比べ、スライスした肉を剣に幾重にも刺し焼けば調理時間を短縮することができるので、ケバブを作って食べたということだ。特に草原や砂漠など燃料が不十分な地域では、薄くスライスして肉を焼く方が丸焼きをするより燃料が節約できる方法だ。

臭いがするという理由で、外国人は避けるが、私たちの国の人々にとって人気の食べ物である「清麹醤」チゲ。清麹醤チゲの主材料である清麹醤も戦争から始まった食べ物という説がある。戦争中も早く作って食べられる「醤」に由来するという意見だ。

私たちの文献で清麹醤が初めて言及されているのは『三国史記』だ。三国史記によると清麹醤は王家の
幣帛の品目の一つだった。以後、朝鮮・粛宗の時、1715年実学者の洪萬選が書いた『山林経済』、1766年、英祖の時、柳重臨が山林経済を補強した『増補山林経済』には「戦国醤」という名前が登場する。戦時に作って食べる醤という意味だ。本は「よく洗った豆を茹でて、わらに包んで温めて3日間おくと生津が出る」と説明している。

清麹醤の起源は高句麗時代にさかのぼる。当時、満州地方に渡って馬を馳せ征服戦争を続けていた高句麗騎馬兵たちが食べていた戦闘食糧という説だ。私たちの先祖は、茹でた豆を鞍下に保管したが、食事をするたびに取り出して食べたという。馬の体温が37~40℃の間なので自然発酵が可能だったのだ。

冬の通りを行き交う人々を誘惑するフードのホットクも過去の兵士たちが愛用した食べ物の一つだという。中国の文献『夜航船』は、匈奴の王子である金日テイが漢に帰化するとホットクの作り方を伝えたと記録している。当時の中国人は茹でたり蒸した饅頭を主に食べたが、これは戦場で調理して保管するのが難しかった。一方、かまどで焼いて水分気が少なくて長い間保管が可能なホットクは、優れた戦闘食糧だったと
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汁に薄切り肉を軽く、くぐらせて食べる料理のシャブシャブ(しゃぶしゃぶ)も野戦料理から始まったという説がある。シャブシャブは日本語で「軽く洗ったり濯ぐ様」を意味する擬態語だ。

13世紀チンギス・ハンが征服戦争を広げていた時期には軍人の士気を高揚させるために、脱いだ兜を
釜のように火にかけた後に食料として持っていた刻んだ羊肉を湯掻いて食べるようにしたということだ。
これをきっかけにモンゴル人の間で汁に肉を湯掻いて食べる調理方式が流行したと伝えられる。中国の
火鍋、日本のシャブシャブなどもモンゴル式鍋料理に起源を置いているという。


一方、我が国の歴史学者の中には、チンギス・ハンのモンゴルより先んじて三国時代当時、兜を釜にした兵士たちの調理方式が「トリョム」文化に変わり、モンゴルがこれを真似たものだと主張する人もいる。
トリョムは冷えたご飯や麺が盛られた器に熱い汁を注いだ後、取り出して、ご飯や麺を温める方式をいう。特にシャブシャブという日本語は「ご飯に熱い茶をそっと注ぐ様」を意味しトリョム方式を示すという主張もある。